2010年4月2日金曜日

中島梓『転移』

中島梓の「転移」を読んだ。

高校の頃に闘病記を好んで読んだ時期があった。その頃、少し前に「愛と死を見つめて」という美しくも悲しい実話が映画やテレビドラマになって大ヒットしたこともあり、まだ若かったせいかそう言う文章を捜してきては読んでいたような気がする。

今回は本当は「弥勒」を読みたかった。しかし、図書館で検索をかけても見つからず、軽い気持ちで最新刊の「転移」を読むことにしたのだ。

中島梓(作家と評論家のどっちの名前だったかな)はあまり読んだことはないが、実は一冊だけ何度も繰り返し読んだ本がある。「真夜中の天使」という本である。

今で言うボーイスラブものだ。昔はそんな本はあまりなかったが、私はなぜかそう言うストーリーが好きだった。それがどこから始まったのか分からないが、本を読むのが好きだったから、手当たり次第に本を読んでいるうちにこの手のストーリーに出会って琴線に触れたのだろう。

最初は森茉莉だった。この人はあまりたくさんの小説は書いていないが、数少ないあまり分厚くない文庫本に幾つかのストーリーが入っていたのだったかな、「恋人たちの森」というタイトルだったような気がする。

今回「転移」を読んでいたら、中島梓も森茉莉に感化されていたと書いているところがあって、あー、それで「真夜中の天使」だったのか…と妙に納得してしまった。

といっても、森茉莉がいて、反対側に三島由紀夫がいて、中島梓のストーリーはその真ん中の、どちらかと言えば三島由紀夫寄りかなという気がするけれど…。

「転移日記」を読んでいると、相当苦しい闘病生活であることが分かるけれど、リハーサルをこなしてライブをやり、着物を着たり、家族の食事を用意したり、痛みで一睡もできなかったのに、ほとんど食欲がないのに、立派に日常生活をしている。

下手すると、私よりしっかりとした日常生活を送っている。

この日記はどこまで続くのだろうかと思って、ふと最後のページを読んでしまったら、2009年5月末に永眠とあり、その時私は2009年3月頃の日記を読んでいたので、そこから先は読むのが俄然苦しくなってきた。

読み始めから読むのが苦しいし、読むと暗くなるし、と言う影響は受けていたのだが、「桜が見られた」と喜びを語り、「まだ生きていたい」と望みを綴っているのに、もう死はすぐそこまでやってきているのだと分かってしまうというのは、読み手の立場であっても、この年ではちょっと耐え難い状況だ。

しかし、5月に入って入院してからの日記はさらにすごかった。

相当苦しいのだと思われるが、手書きで転移日記を書いている。数行だし、字も文章も乱れていて、ほとんど意味不明。そして最後が5月17日だったかな。

日付も間違っているし、本文は「ま」の一字だけ。後は改行マークが幾つか続いている。書くのをあきらめてパソコンで打とうとしたのだろうか。

巻末の簡単な説明によると、この日に昏睡状態に陥って10日ほど後に亡くなったようだ。

意識が錯乱するほどの状況で書こうとする執念が凄まじい。本人はきっと無意識にでも、何度でも死の淵から立ち直って転移日記を読んで、「あはは、こんなこと書いてたんだ」と笑うつもりだったのではないだろうか。

読み終わった後、最後の彼女の執念に心臓を鷲掴みにされたような気がして、しばらく興奮状態が醒めなかった。合掌。