2010年10月23日土曜日

国際試合を観戦する

フィギュアスケートのNHK杯をテレビ観戦した。

ちょうど中国ペアの出番だった。ショートのトップも中国ペアだったが、最下位も中国ペアで、見ていたときはちょうど最下位の中国ペアの演技が始まったところだった。

22才と17才のペアでまだ若いからミスも多い。会場の観客は静かに観戦し、技が決まれば当然ながら温かい拍手を送っていた。

そこでふと思った。

日中間は最近こそ尖閣諸島の問題で具体的なもめ事を抱えているが、こういうことが起きていなかったときから、中国という国は何かにつけて突っかかってくる不愉快な国だ。

北京五輪の時もひどかった。


と分かっていても、尖閣諸島での事件後はさらに輪をかけてひどい態度になった。

こういう政治的な問題が起きたときに、ノーベル賞のノルウェイも同じ目に遭っているようだが、関係のないところでも、何が何でもこの問題を絡めて威嚇すればいいと思っているようだ。

サッカーのU-20だったかU-18だったか、詳しくないから忘れてしまったが、日本の代表チームはまだ少年ばかりのはずだが、そういう子供に対してでさえ、練習しているときから石を投げるなど、練習を妨害し、試合になれば国旗を引き裂く暴挙の嵐。試合中は相手国を一生懸命応援し、日本が得点すればブーイングする。サッカーに興味はないが、ひたすらそれをするために試合観戦にやってきているかのようだ。

こういう民度の低い国民を見ていると実に不愉快になる。町でも試合会場でもどこででも、何が何でも、いつまでもこだわってしつこく相手を責め続ける。

それは国と国の交渉に任せて、スポーツの世界、文化の世界では気持ちよく交流しようという態度になぜなれないのだろうか。ま、お手本になるべき政府さえもヒステリックになっているのだから、国民がお行儀よく振る舞えるはずはないのだが。

その点、NHK杯の会場のお客さんたちの態度は立派だった。尖閣諸島の事件以来感じ続けてきた不愉快さをみじんも感じさせなかった。会場に関係のない政治的な横断幕も出てこなかった。おそらく中国人のお客さんも恐怖を感じることなく中国国旗を掲げ、自国の選手を応援することができたはずだ。

中国の国民も同じようにして欲しいものだ。無理だとは思うが。

2010年10月9日土曜日

お国柄の違い

中国に拘束されていた最後の一人がようやく解放された。

日本が中国漁船の船長を一人残し、処分保留で釈放したのと、ほぼ同じ拘束期間、釈放理由となった。中国式は目には目を!なのか。ただし、日本は無条件で船長を釈放したが、中国の方は何十万円だかの保釈金まで支払わせたようだ(ただし、一定期間後に返還されるらしい)。

ここで世界に目を転じてみると、

ノーベル賞選考委員会は、中国とノルウェーとの国家関係に深刻な影響が出るとの中国高官の脅しに屈することなく、しっかり中国人の民主主義者を選んだ。

ベトナムでは、領土問題で紛争中の海域で漁船が中国に拿捕され、9人が中国に拘束されているとか。事件が発生したのが尖閣諸島での事件とほぼ同時期だ。中国は国内法で裁き、違法操業に対して罰金を払えば釈放すると言い、ベトナムは、日本の腰抜け政権のようなみっともない真似はせず、「毅然と」罰金の支払いを拒否し、船員の釈放を要求している。ちょうど日中間に生じたのと加害者・被害者が逆になっている。どちらを演じることになっても、中国は強気だ。

そして、こうしてみると弱腰は日本だけだ。これで、フジタの社員が解放された時の首相の記者会見も「ほっとした」。ほっとする前に毅然とした態度を中国に示して欲しかった。

今更言っても仕方がないが、事件発生直後に撮影したビデオを公開しておくべきだった。短期間にせよ公開して、国民にも世界にも、どっちに非があるのかをはっきりさせておくべきだった。

どんなに中国が強硬姿勢を取ろうとも、このグローバル化の情勢の中で完全に孤立する状況だけは中国だって作りたくないはずだし、APECも間近、ノーベル賞でのごたごたも予測され、ベトナム漁船の事件も発生していたのだから、ご自慢の「廊下懇談」のような落としどころを見つけて歩み寄りになるのは当然の帰結だったわけで、そうなる前に真理を明かしておく必要があった。

この「廊下懇談」も、日本側の物欲しげな発言ばかりが聞こえてきて、実に不愉快だった。

しかし、日本の首相がしていて、私が新聞記事で興味深く読んでいるのは、「今日はどこで夕食を取ったかな?」ということだけだ。

連日、赤坂がお好みのようで、会席料理と寿司と焼き肉を順番子に召し上がられている。結構なことだ。

2010年10月7日木曜日

民主党が嫌いなわけ

私は立派な人間ではないが、立派ではないと自覚する分、自分に厳しく、他人に甘い基準を適用するよう努力している。

そうした人間の目から民主党を眺めると、その姿勢はイライラするほど真逆である。

野党時代、鳩山元総理は「秘書が資金の問題で逮捕されたら、私はバッジを外す」と言った。そのように与党である自民党を追求して、実際に議員辞職した議員もいたのだ。

ところが、与党になり、実際に秘書が逮捕されたら、どうだろう。バッジを外すどころか、正式に起訴され、裁判が終わった元秘書さえ、いつの間にか元通りに雇用されているらしい。

さらに、鳩山氏は総理の座を降りたとき、責任を取って次の選挙には出ないとおっしゃったが、その後、この発言を撤回。

代表戦ではあっちを支持すると言ったりこっちを支持すると言ったり、政治家って本当に信頼関係ではなく、損得勘定で結びついているんだな~としっかり納得させてくれた。

尖閣諸島の漁船衝突事件では、「中国の首相と腹を割って話ができる」と断言したとか。でも、オバマ大統領との関係は「Trust me」が徒となって大いにこじれたはず。ひいては日米関係さえおかしくなったままだ。
参院選で惨敗した民主党は、同じく参院選で自民党が惨敗した時は、「直近の民意」という言葉を振りかざして、反対のための反対を貫き、法案をことごとく否決し、日銀総裁もなかなか決まらなかった。しかし、今回は「直近の民意」は特に考慮しなくてもいいとなぜだか考えているようだ。

今の総理は、自分たちが野党時代にやったことをすっかり忘れ、総括もせず、今回の国会では野党の皆さんにご協力をお願いする、お願いしたらご協力いただけると考えているようだ。

今の総理は「知らない」「担当ではない」「見ていない」発言ばかり。それでいて、「やあやあ」廊下懇談は自慢げにぺらぺらとしゃべる。どうせしゃべるなら、自慢げに「領土問題はない、フジタの残る一人を早く釈放しろと言ってやりました」と言って欲しいところだが、どうやらフジタの社員については触れもしなかったようだ。

小沢氏、議員辞職も離党もせず、「秘密のベール」に包まれた「素人集団」の検察審議会の決定に毅然として対応するときっぱり宣言した。

民主党の皆さん、自分たちが野党だったとして、与党の自民党に強制起訴に追い込まれる議員が出てきたらなんと言ったのか、胸に手を当ててよーく考えてみよう。

2010年10月6日水曜日

事業仕分け

もうすぐ事業仕分けの季節がやってくる。

今年も「2番じゃ駄目ですか」的発想の元、文科省関連の予算もどしどし削られるのだろうか。

戦中戦後に若き研究者だった学者が今年も2人、ノーベル賞を受賞した。

先ほどテレビで鈴木章北海道大学名誉教授のコメントを放送していたが、「日本は資源のない国。あるのは人と人の知識」というような発言をなさっていた。

知識を得るための予算は、知識のない人間に裁いて欲しくないと思った。

2010年10月3日日曜日

ビデオを見ていない総理

我が国の総理は尖閣諸島近海で海上保安庁が撮影した中国漁船接触事故のビデオを見ていないと公の席で明言した。

そして今日の午後、ASEMの場を借りて日本の立場を説明するため、現地に向けて出発するそうだ。実際、数カ国との首脳会談も設定されているようだ。

しかし、現実に起きた出来事の生の映像を一度も見ないまま、外国の首脳に我が国の立場を説明するってあり得るのだろうか。映像がないならともかく、映像は確かにあるのだ。

他国の、友好的ではない国の首脳が、「それは、自分では一度も実際に見ていない、人の説明で聞いた事件の話を鵜呑みにしての主張なのか」と聞いてきたらなんて答えるのだろうか。

「いや、あれは国民に誤解を与えたり、失点につながる失言をしたりしないよう、慎重の上にも慎重を期すため、表向きそう発言したまでで」なんて答えようものなら、外交の世界はよく分からないが、「トラストミー」発言で有名な某・前首相以上に信頼が失墜することだろう。

情けないことである。

2010年10月1日金曜日

てっぱんを見て

ゲゲゲの女房の後番組てっぱん。

前の番組が大好きだったので反動でつまらないのではと思ったが、今のところ意外に見られる。

しかし、どうしても腑に落ちない疑問が2つある。

まず、主人公の母親は尾道の主人公の育ての親と親しかったらしいが、子供を産んで亡くなった後、育ての親が八方手を尽くして親類縁者を捜したのだが見つからず、やむを得ずこちらでお寺にお骨を納めたと言うような話をしていた。

しかし、18年近く経ってから、主人公の祖母が尾道にやってきて、どういうマジックなのか、いきなり娘の愛用品であるトランペットをすんなり手に入れてしまう。

トランペットに写真が入っていたので、主人公の現在の家にすぐ来られたという説明には納得がいった。

しかし、娘はすでに死んでいた。孫は何も知らず育ての親に育てられ、すくすくと成長していた。

祖母はそれを知って「何も起きなかったと思え」と言うような置き手紙を残して、それなのに主人公の母の形見であるトランペットは置き去りにしたまま姿を消してしまう。それ、置いたままでは忘れられないでしょう…。

今日の番組で、主人公はトランペットを祖母の元に返しに行った。

「忘れてしまえ」と言い残して姿を消した、急に現れた祖母。住所はどうして分かったのだろうか。

主人公の母が亡くなったとき、どうしても分からなかった親の住所がいつの間にかみんなに分かっているようだ。

老母が娘の形見のトランペットを入手した経緯と主人公が祖母の住所を知った経緯はこれから説明があるのだろうか。せっかく面白いかもと思って見始めたドラマなので、できれば筋書きに齟齬を来すような不自然なところが出ないように脚本家は配慮し、よく原稿を見直して欲しい。

2010年9月30日木曜日

妙な言葉遣い

フジタの社員が中国で拘束されている事件。

何となく聞いていると何とも思わないのだけれど、あれ?と思うと、気になって仕方がなくなる報道の表現が多い。

例えば拘束とか解放。とりあえず、中国は違法な行為があったと言っているのだから、逮捕と釈放と言う言葉を使うのが適切だと思うのだが、なぜだか拘束と解放という言葉が使われることが多い。こういう言い方だと、まるでテロリストのグループや反政府ゲリラに拉致されたみたいだ。

次に翻訳の問題なのかもしれないが、中国の報道官が「日本人が違法行為を認め反省しているので」解放したとコメントしたと言う報道。

一応、日本側の台詞をオウム返しにして「我が国の法律に則って粛々と手続きを進めている」ようなのだが、それだったら犯罪を捜査し、容疑者の取り調べをして、起訴し、司法の判断を出し、釈放が適切であれば釈放するが、とりあえず違法行為をしたのだから裁判になるのは必至で、そうなると裁判の時にすぐに出頭できるように近くにいなければならないのではないだろうか。

でも、報道官の話(あくまでも字幕スーパーだが)によれば、反省しただけで釈放されてしまっている。なぜだか一人を除いて。そして裁判になるとも罰金刑になったとも、そうした処罰に関する説明は一切なかった。

だから、ますますこの逮捕劇が奇異なものに見えてしまう。尖閣諸島絡みでちょうど良いカモを見つけた→人質にって思考回路に思えてしまうのだが、どうなのだろう。

いずれにしても不愉快な事件だ。

2010年9月24日金曜日

民主党の大風呂敷

民主党には心底うんざりした。

この党は大嘘つきだ。

去年の衆院選で言ったことは「必ずしも実行しなくてもいい」と、マニフェストを勝手に 縮小し、「最低でも県外」は党首の言葉ではなく個人の見解で、今回の尖閣諸島沖の漁船衝突事故での船長逮捕では「国内法に照らして粛々と手続きを進める」はずがいきなり釈放!?

検察って、国際情勢とか世論とかに判断が左右される存在だったんですね。あらかじめ道筋を設定しておいて、雨が降ろうが槍が降ろうが、その道筋に沿って何が何でも容疑者を落とすのが検察じゃなかったのか。

どう考えても検察が「日中関係に考慮して釈放」するはずがない。

要するに、腰の引けた政府が圧力をかけたのだろう。そして自らの判断であると検察に言わせたと思わざるを得ない。

思えば偽メール事件の時も、当時の前原代表は、メールが偽物ではないかと騒がれていたにもかかわらず、「明日の党首討論をお楽しみに」と国民を期待させた。その結果は引責辞任だった。

小沢氏は一兵卒として頑張るそうだが、中国のお友達と今回はお話ができなかったのであろうか。あれほどの人数の子分を引き連れて、平身低頭してご挨拶したのだから、今回のことでは何らかの交渉ができる立場にあると思うが、平身低頭するときには相手にしてもらえても、いきり立った中国には相手にしてもらえないほどの存在だと言うことなのだろうか。

喜々として付いていった子分たちも、この際よーく反省してもらいたい。

思えば国旗も国歌も嫌いな首相。国費で訪韓しながら、韓国の反日デモに大使館から公用車に乗って出掛けて参加し、大使館に向かって拳を振り上げた過去を持つ国家公安委員長。

情けなくてもうため息しか出ない。

2010年9月14日火曜日

武道とスポーツ

最初は大して興味もなかったが、昨日の最終日はふと気が向いて世界柔道選手権の無差別級をテレビで見た。

柔よく剛を制す

これが柔道の基本だと素人の私は勝手に思っている。

ところが、柔道をグローバル化したために、最近の柔道は武道ではなくてスポーツになってしまったように見える。

柔道の国際組織には、権力闘争か何か知らないが、柔道の精神を正しく伝えられる唯一の存在である日本の代表も存在しなくなってしまったとずいぶん前に報道で読んだ記憶がある。

日本の声が反映されなくなって、北京五輪の時の柔道はタックルばかりが流行り、レスリングとどう違うんだと言いたくなるような試合を見せられて、日本の男子は活躍できなかった。

いきなり脚にしがみついて相手を押し倒す技など柔道ではない。

柔道を見るなら、相手の力を使って相手を綺麗に投げ飛ばす技を見たい。

と外国の柔道選手やファンは思わないのだろうか。とはいえ、さすがに脚を狙うあの技は反則になったようで、今回の世界選手権であれをやる選手がいなくなったのはめでたいことだった。

ところで、昨日の男子無差別級の決勝を見ていてつくづく思った。

リネールの背中越しに長い手を伸ばし、相手の帯を掴んで力任せに相手をつり上げて投げ飛ばそうとする技、これは大相撲で把瑠都が大関昇進前によく見せたのと同じ技だ。

でも、あれって技だろうか。ああいうのはただの力尽くではないだろうか。

技を競って相手に勝利するのが柔道、そして日本の武道だと思う。

勝てばいいってものではない。リネールや把瑠都の力業は誰でも出来るわけではない。相手より背が高くて手が長くなければ繰り出せない技だ。つまり、この技は一定の体格を持っていなければ繰り出せない技で、本人が会得したと言うよりは本人の努力や意思とは関係ないところで本人に与えられた身体がなければ繰り出せない技だ。

しかし、普段からみんなが同じ技を練習し、掛け合って、うまく相手と組んでその技を綺麗に決めることが正真正銘の柔道だと思う。

旗判定で負けたリネールは「えーっ!」と言う顔をし、礼もせず握手もせずに、「ひどいーっ! うちの組織のえらい人に言いつけてやる!」みたいな顔をしてどこかに行ってしまった。

日本の武道はただ勝てばいいと言うわけではないのに、その精神が伝わっていないのはものすごく残念だし、国際化したために柔道がそういうことになってしまうのなら、今からでも遅くはないから、そんな柔道から日本は離脱して(もちろんスポーツとしての柔道をやりたい人はやり続ければいいと思うけれど)、本来の道を究めて欲しい。

テレビ観戦しながらそんなことを考えた。

2010年7月22日木曜日

運動選手の本分

柔道の山下泰裕・井上康生両氏がエルサレムでイスラエルとパレスチナの両方の子供を招いて合同の柔道教室を開いたという報道を見た。

井上康生はイギリスに指導者になるための勉強に行くと言う報道をずいぶん前に見て、柔道家が指導者になるのにどうしてイギリスに行かなければならないのだろうと思って以来、すっかり脳裏から消えていたが、日本の柔道家が柔道を教えながらパレスチナとイスラエルの和平に貢献しているのだと知って、とても感動した。

これこそ、運動選手が本領発揮しつつ、世の中に役立つと言う素晴らしい例であると思った。

最近の風潮として、その道で功成り名を遂げると、なぜだか政界に打って出る傾向がある。

「地球を覆うほどの愛」とか言うのは聞こえはいいかもしれないが、その実は何なのだろうか。

直接話を聞いたわけではないから、ものすごく崇高な政治的目的を掲げているのかもしれないけれど、運動選手は自らの得意分野でこそ本領を発揮できるという気がする。

そして、さらにがっかりするのは何をするのかがまったく見えてこない候補者に投票する人が何十万人もいる日本の国である。しっかりしようよ。

2010年7月13日火曜日

参議院選挙

神奈川県の松沢県知事が今回の参院選挙について、「衆院選で約束したマニフェストを何一つ実現できず、選挙に勝つための道具としてもてあそんだ罰が当たった」と記者団に語ったそうだ。

まさにその通りだと思う。

消費税の問題などはどうでも良いことだ。

民主党が選挙前にやるべきだったのは、去年のマニフェストの総括だった。総括していなかったわけではないようで、どこかで手前味噌の自己満足的な総括は見掛けたような気がする。

そして総理も「普天間や金と政治の問題はクリアした」とどこかの街頭演説でおっしゃった。

どこがクリアしたのでしょうか。沖縄はまったく納得していない。口蹄疫も畜産家の方たちの支援策はどうなったのだろうか。金と政治については、ただ顔ぶれをチェンジしただけでしょう。

だいたい「財源はある」と去年大言壮語していたのはどうなったのか。

そんなものはなかったし、見つからなかったのだから、まず「申し訳ない」と謝って欲しかった。

それなのに、謝るどころか事業仕分けの顔みたいな人がきつい顔をますますきつくして、あちこちで選挙の顔となっていた。

民意が大事と言いつつ、民意で落選した大臣をいくら任期が残り少ないとはいえそのまま続けさせるというのもどうなのか。議員でない大臣がいても構わないと思うが、落選して議員でなくなった大臣なんて前代未聞ではないのか。

そして菅総理大臣。鳩山政権から引き継いだ時もそう思ったのだが、分が悪くなるとか、総理の椅子が目の前とか、そうした時には必ず「触らぬ神にたたりなし」的態度になるのは止めていただきたい。

総理大臣と横綱は何があっても正々堂々と正面から敵に相対し、敵がどんな手段に出てこようとも、がっぷりと受け止めて鮮やかに裁いていただきたい。白鵬には期待できると思うけれど、現総理には無理かな。

2010年6月16日水曜日

事業仕分け

事業仕分けが大嫌いである。自民党と差別化するための民主党の単なるパフォーマンスだと思っている。

だいたい分野が多岐にわたっているのに、事業の継続・非継続を短時間で判断するというのをその分野に素人の政治家・民間人数人で「最初に廃止ありき」の姿勢で仕分けしていくのだから堪らない。見ていてその高姿勢が鼻につく。

中国の文革の時代からも分かるように、人の粗を見つけるのは簡単だ。責めるのも簡単だ。それを地でいっているような気がする。

例えば先日帰還したはやぶさ。

JAXAが事業仕分けに掛けられた段階で、はやぶさは苦難の連続を乗り越えながら地球に向かっている最中だった。

それは調べれば分かることだ。

で、実際に帰還したら首相を初めとして大臣連中が現金にも「快挙だ」と称賛し、びしっと予算を3000万円まで縮減した行政改革相(当時はただの仕分け人)まで「誤り」を示唆しているとか。

すると、はやぶさがもし帰ってこられなかったら、月より先にある、まだ他国のどの探査衛星も行ったことのない前人未踏の遠くの惑星に到達し、着陸して試料を採取し、再び離陸して帰還の旅に出て…と、ここまでは去年の事業仕分けまでにはやぶさが実現していたわけだけれども、そこまでの偉業を達成しながらも、その後結局帰ってこられなかったら、事業仕分けはそのままで、今後の予算は3000万円で決着していたかもしれないのだ。

なぜそう言う仕分け結果が出たのか分からないが、議論が得意な政治家集団と違って仕分けされる側の仕事一辺倒の専門家集団が説得力のある説明・反論を行うことができないというのもあるだろう。そもそも素人が利益不利益だけで判断するからこういうことになるのだと思う。

「なぜ二番ではいけないのでしょうか」

すべてはこの言葉に凝縮されている。

こういう判断しかできない仕分け集団に貴重な国家予算の仕分けを任せるのはもう止めてもらいたいと切に願う。

2010年6月14日月曜日

はやぶさ

はやぶさが遠い宇宙の旅を終えて帰ってきた。

最初にはやぶさの話を聞いたときは、小さい頃に見たアメリカのテレビ番組の「名犬ラッシー」が頭の中に浮かんできた。細かいことは忘れてしまったが、確か引っ越しの最中に家族と離ればなれになってしまったラッシーがものすごい距離を様々な困難や事件に遭遇しながら移動して、最後にはしっかり家族と再会するというものだった。

でも、今朝テレビではやぶさの映像を見ていたら、分離されたカプセルがすーっと火の玉となって一直線に進んでいったのに対して、その真上に火の粉となってばらばらに燃え尽きるはやぶさの姿がはっきりと見えて、ふと宮沢賢治の「夜鷹の星」という話を思い出した。

ストーリーは全然違うけれど、夜鷹が星を目指してぐんぐん上昇しながら空を昇っていって星になるシーンが火の粉となってまばゆく輝きながら最後にはカプセルの一条の光だけ残して真っ暗になってしまったはやぶさと重なって見えた。

はやぶさは生き物ではないけれど、長い年月を掛けて遠い小惑星まで飛んでいき、迷子になっても、装置が故障しても、何とか管制塔からの指示を受け取って、ばらばらになって燃え尽きてしまうと言うのにちゃんと地球に戻ってきた。はやぶさには哀しいロマンがある。

嫌なニュースばかりの日本で久しぶりに夢のある、そして世界に誇れる快挙で、その感動を共有できてとても嬉しい。

2010年6月12日土曜日

サッカーW杯

サッカーのワールドカップが始まった。

サッカーに特に興味はない。でも、マスコミでの扱いは大々的だ。

少し前に日本の代表チームが南アの拠点に到着したというニュースをやっていた。

空港のガラス戸が開いて日本の選手が次々と出てきて、大勢の人が待ちかまえる中、一筋空けられた通路を歩いて送迎用のバスに乗り込んでいるシーンだった。

ここで違和感を覚えた。選手はガラス戸の向こうから出てきて、ギョロッと周囲を睨むか、大勢の人などまるで興味がないという姿勢を示すか、いずれにしても無表情に少し猫背加減に、足早に中央にできている道を通ってバスに乗り込んでいた。中にはイヤホンを耳にはめたままの選手もいた。

相変わらず態度がでかいな~と思った。サッカーが嫌いなのは選手たちがこういう態度だからだ。世界最強の実力の持ち主ならともかく、日本でトップと言うくらいなのに、態度だけはでかい人が多い。もちろん、世界最強でもああいう態度は頂けないけど。

でも、元々興味のないジャンルなのでその場でそう感じてすぐに忘れていた。

そうしたら、今朝の朝日新聞の小さなコラムにその時のことが取り上げられていた。

書いている記者が現地の駐在員なのか、W杯のために派遣されているのか、専門の記者なのか分からないけれど、その人の知り合いの現地の人が選手が到着するのを歓迎しようと空港まで出向いたのだそうだ。

しかし、さっきも書いたように選手たちは普段の試合会場を出入りするのと変わりない態度で、しつこいサポーターを避けるような態度で、笑顔も見せず、出迎えの人と目を合わせることもせず、足早に過ぎ去っていった。

記事ではすべての選手がそう言う態度だったのではなく、中には出迎えた子どもたちと手を合わせた選手もいたと書いてあったが、大半の選手は傍若無人、何様?と言う態度だったので、わざわざ出迎えに行った知り合いの人もがっかりして戻ってきたとのこと。

これを読んでやっぱりな~と思った。サッカー嫌いの私が感じるだけではないのだ。状況を読めていない日本の選手たち。そう言う体たらくでは、とても試合中にも状況を判断して勝利を呼び込むプレイはできないだろう。

とりあえずお疲れさまです。何ゴールできるか知らないけれど、せいぜい頑張ってください。

2010年5月27日木曜日

普天間問題--訓練地

もういい加減にして欲しい普天間問題。

どこまで沖縄の人たち、徳之島の人たち、そして国民を愚弄すれば気が済むのかといいたい。

とりあえず民主党と鳩山総理の急務は「5月末決着」。

そして5月末決着はいつの間にか「目指せ5月末合意」になっているし、聞こえてくるのは移転先は明記しないとか、小手先、口先の愚かな提案ばかり。

徳之島についても、結局官房長官が推進派と会談したまま放置。でも、日米合意には地名が明記されるとか。

この場合、賛成の人と話すのは最後で良いんじゃないだろうか。何はともあれ反対派の人と会って説明を尽くすのが筋ってもんじゃないでしょうか。

と言うよりも何よりも、日本全国に訓練地を分散させて沖縄県民の負担を軽減するというご立派な提案に関して、素人が何を言うかと言われそうだが、一つ提案させていただきたい。

分散させるなら、与党はまずご自分の選挙区に誘致してください。

それが正しいと信じているのだし、沖縄の方の負担軽減を第一に考えているのだし、どこよりも自分の選挙区の皆さんなら、自分たちが選んだ議員の選択を積極的に理解してくれることだろう。

と言うわけで、まずは総理、官房長官、副総理、幹事長といった幹部の皆さんから是非積極的に則りを示していただきたいです。

2010年5月13日木曜日

将たる者

毎回嘆息することばかり書いていて我ながら嫌になるが、「5月末」を連呼していた鳩山首相がとうとう「6月」を口にし始めた。

ここ数日、閣内からは5月決着論に異を唱える声が出てくるようになってきていた。

曰く
5月までに決着することが重要ではない。内容が重要である。
とか
自民党だって13年掛かったんだから、手品みたいにできるわけがない
とか何とか…

誰も5月なんて言っていなかった。沖縄もアメリカも国民も。
言っていたのは総理自身だ。

大事なことだ。拙速にやって良いことは何もない。どういう考えから5月末と連呼していたのか凡人には見当も付かないけれど、ふか~~~い考えがあってそう言っていたのだろうと思っていたら(思っていなかったけれど)、実は深い考えも腹案も勝算も見込みも、何もなかったようだ。

そして今日になって、こうなってしまったことについては何も述べず、当たり前のように「できなければ6月に入ってもやる」みたいな決意表明をしているようだ。

この人の言葉は嫌悪感を覚えるほど軽い。

そして、こういう右往左往を見ていてある昔の逸話を思い出してしまった。

嘘か本当か知らないが、北条氏政が食事の時、ご飯に汁をかけて食べていたが、途中で汁がなくなってしまい、汁をつぎ足して食べているのを見て、父親の北条氏康が「飯の量に見合う汁の量も量れないのでは、とても一国を守ることはできないだろう」と嘆息したとか。そしてこの父親の不安は的中し、北条家は氏政の代で滅ぶことになる。

....

日本がこうならないことを祈るばかりだ。

2010年5月5日水曜日

唖然…

鳩山総理が沖縄に行った。

そのニュースを見ていたら、頭の中がNHKのどーも君みたいになってしまった。

その場の感情を激するままに書いても後悔するだけだと思って一晩頭を冷やしてみたが、一晩経っても気持ちに大した変化はないようだ。

普天間基地の問題に関しては、最初から総理の言っていることに現実味があるのか疑問に思っていた。そんなことができるのなら、自民党政権の時代にとっくにやっていたはずだ。できなかったから15年だか10年だか時間を掛けて、ようやくほんの少しだけ沖縄の人たちの負担軽減になる、そして米国が納得する現行案に落ち着いたのではないのか。

沖縄の人たちは現行案だって決して納得していなかったはずだ。でも、時間を掛けてやっとここまで来たのだから今回はこれで我慢するしかないと渋々自分を納得させていたのではないのか。

そのパンドラの箱を開けたのは誰か。

そうしたら、今になって、去年の衆議院選挙の応援演説で「最低でも県外」と言ったのは、党の公約ではなく、個人的な意見だった…って?

党の代表と言う立場の人が来て、選挙のための演説をしていったその言葉が党の見解ではないと誰が思うだろうか。

こうこうしますから、投票してくださいとお願いしているのだから、その「こうこう」は当選したときに実現すると思うのは当たり前のことではないのか。

それを今更「個人的な意見」って、ああた、それは詐欺でしょ。私、東大に合格するような優れた知能を持ち合わせないせいか、ものすごく混乱しております。

それと、3月だったか4月に入ってからだったか、通常のニュースに割り込む形で「岡田外相が現行案の修正案を米側に提示したと米紙が報道」って報道があって、そこから数日間、岡田外相も総理も「現行案はあり得ません」ってきっぱり言っていた記憶があるが、今総理が実現させようとしている現行案の修正案とその時の「あり得ない」現行案の修正案はどこが違うのだろうか。

場所は同じ。埋め立てかくい打ちかの違いがあるだけで、どう考えても現行案の修正案としか思えない。もちろん、今回のは「+徳之島」ではあるが、辺野古に基地ができることに変わりはない。

すると、「あり得ない」発言は何だったんだろうか。

あの時、岡田外相が米大使に提示したのはどういう案だったのだろうか。

あの時は現行案の修正案はあり得ない状態だったのだとすると、今の案(今の現行案の修正案)はその後に出てきた案ということになるのか。つまり、立案ほやほや? そんな検討する時間も十分取れていない案を沖縄の人たちや徳之島の人たちにぶつけている?

と言うわけで、頭の中がどーも君状態である。

2010年4月2日金曜日

中島梓『転移』

中島梓の「転移」を読んだ。

高校の頃に闘病記を好んで読んだ時期があった。その頃、少し前に「愛と死を見つめて」という美しくも悲しい実話が映画やテレビドラマになって大ヒットしたこともあり、まだ若かったせいかそう言う文章を捜してきては読んでいたような気がする。

今回は本当は「弥勒」を読みたかった。しかし、図書館で検索をかけても見つからず、軽い気持ちで最新刊の「転移」を読むことにしたのだ。

中島梓(作家と評論家のどっちの名前だったかな)はあまり読んだことはないが、実は一冊だけ何度も繰り返し読んだ本がある。「真夜中の天使」という本である。

今で言うボーイスラブものだ。昔はそんな本はあまりなかったが、私はなぜかそう言うストーリーが好きだった。それがどこから始まったのか分からないが、本を読むのが好きだったから、手当たり次第に本を読んでいるうちにこの手のストーリーに出会って琴線に触れたのだろう。

最初は森茉莉だった。この人はあまりたくさんの小説は書いていないが、数少ないあまり分厚くない文庫本に幾つかのストーリーが入っていたのだったかな、「恋人たちの森」というタイトルだったような気がする。

今回「転移」を読んでいたら、中島梓も森茉莉に感化されていたと書いているところがあって、あー、それで「真夜中の天使」だったのか…と妙に納得してしまった。

といっても、森茉莉がいて、反対側に三島由紀夫がいて、中島梓のストーリーはその真ん中の、どちらかと言えば三島由紀夫寄りかなという気がするけれど…。

「転移日記」を読んでいると、相当苦しい闘病生活であることが分かるけれど、リハーサルをこなしてライブをやり、着物を着たり、家族の食事を用意したり、痛みで一睡もできなかったのに、ほとんど食欲がないのに、立派に日常生活をしている。

下手すると、私よりしっかりとした日常生活を送っている。

この日記はどこまで続くのだろうかと思って、ふと最後のページを読んでしまったら、2009年5月末に永眠とあり、その時私は2009年3月頃の日記を読んでいたので、そこから先は読むのが俄然苦しくなってきた。

読み始めから読むのが苦しいし、読むと暗くなるし、と言う影響は受けていたのだが、「桜が見られた」と喜びを語り、「まだ生きていたい」と望みを綴っているのに、もう死はすぐそこまでやってきているのだと分かってしまうというのは、読み手の立場であっても、この年ではちょっと耐え難い状況だ。

しかし、5月に入って入院してからの日記はさらにすごかった。

相当苦しいのだと思われるが、手書きで転移日記を書いている。数行だし、字も文章も乱れていて、ほとんど意味不明。そして最後が5月17日だったかな。

日付も間違っているし、本文は「ま」の一字だけ。後は改行マークが幾つか続いている。書くのをあきらめてパソコンで打とうとしたのだろうか。

巻末の簡単な説明によると、この日に昏睡状態に陥って10日ほど後に亡くなったようだ。

意識が錯乱するほどの状況で書こうとする執念が凄まじい。本人はきっと無意識にでも、何度でも死の淵から立ち直って転移日記を読んで、「あはは、こんなこと書いてたんだ」と笑うつもりだったのではないだろうか。

読み終わった後、最後の彼女の執念に心臓を鷲掴みにされたような気がして、しばらく興奮状態が醒めなかった。合掌。

2010年3月24日水曜日

顧客満足度

前回パラリンピックの話題で、国を挙げて支援しているところは少ないのではと書いたら、見ていたようにNHKで「国を挙げて支援するところが増えている」という特集が放送された。あらら…。

でも「増えている」と言っても、その特集で取り上げたのはウクライナだったかな、1ヶ国だけ。できたら映像でも紹介しつつ、「増えている」証を一覧表なんかで紹介して欲しかった。

*****

久々にガソリンスタンドに出掛けた。

車を運転する頻度はとても少ないので、ガソリンスタンドに行くことも少ない。

今回出掛けたスタンドに行くのは2度目だ。

我が家はマンション住まいで機械式の駐車場に車を止めているため、なかなか掃除ができない。車は結構汚れる。泥汚れではないのでふき取れば綺麗になるのだが、出掛けるときに雑巾を持っていくのも忙しない。

と言うわけで、近所にワンコインで機械洗車してくれるところを見つけておいたのだ。初めて行ったときはその機械洗車が故障していたのでポイントカードを作ってもらってガソリンを入れただけで帰ってきた。

今回はガソリンもなくなったし、車も汚れていたので、ちょうど車に乗って出掛ける先があったし、少し早めに家を出てそのガソリンスタンドに行ったわけだ。

私は車の運転は向いていないと思う。出掛ける前から色々考えて怖くなってしまうからだ。

今回も出掛ける前から、ガソリンスタンドの進入経路、出た後の方向と外出先の方向とか、洗車とガソリン補給の手順とか、色々考えてもやもやしてしまった。

で、とりあえず先に洗車することにした。

洗車はなかなか面白かった。アナウンスが流れて、窓を閉めろと言うから閉めると、アナウンスが聞こえにくくなったが、それでも戸惑うことなく洗車が始まり、機械が動いて洗車してくれる。

エンジンを切っているのだから、車が動くはずもないのに、目の錯覚で車がすーっと動いているように感じて眩暈がしそうだった。と言うわけで、眩暈を解消するには、目先の機械を見ずに、その先の景色を見ること。そうすると、自分が動いていないのを実感できます。

次に洗車コーナーを出てガソリン補給をする。セルフ式だから、自分でやらなければならない。慣れていない。おたおた。

給油している最中には、洗いっぱなしで窓とかが濡れているので、できたら給油中の時間を利用して雑巾で拭いておきたい。雑巾はどこ? おたおた。

そこはテレビでも宣伝している大手のガソリンスタンドで、コマーシャルでは用事がなくても、道に迷った友達と落ち合うのについ利用したくなるほど店員さんが親切で優しい、みたいなイメージで売っていた。

でも、私が行ったときは、セルフだからかもしれないけれど、暇そうに立っている店員さんもいたのに、「いらっしゃいませ~」の声もなく、おたおたおたおた…しているときも、「どうなさいました~?」の声掛けもなかった。

唯一私が店内に支払いに行っているときに、家族がやっと雑巾を見つけて車を拭こうとしたら、「それは窓拭き専用だから、ボディは拭かないで」と言われたと言っていた。

店内の支払いレジの人は親切だった。金を払うから当然だけど、にこやかに説明されて現金支払いカードまで作ってしまったくらいだ。

しかし、できれば作業場にいる店員さんたち、せっかくテレビでも宣伝しているのだから、セルフだと言っても、おたおたしている客を見つけたら手助けしてよ。

サービスの押し売りは嫌だけれど、つかず離れず、さりげなく手助けしてくれると、特にこういうセルフ式のスタンドなんかは、少し遠くても(遠くないけど)あそこに行こうという気になる。

と言うわけで、客商売のお店の人は顧客満足度について、もう少し意識しましょう。

2010年3月21日日曜日

パラリンピック

冬季オリンピック、日本勢は相変わらずだった。

一部に頑張った選手もいないではなかったが、ほとんどが言い訳しか記憶に残らないような存在感で、いつものことだけれど、メダルメダルと何も知らない国民を変に煽るような報道だけはマスコミもいい加減に止めてもらいたいと思っているうちに終わってしまった。

続いてパラリンピックが開幕し、これもいつものことだけれど、結構日本勢が頑張っている。毎回、健常者の大会より障害者の方が健闘しているものね、日本の場合。

でも、パラリンピックでメダルを取ろう!って必死になっている国って、たぶん世界を捜しても大してないと思う。オリンピックでメダルを取るぞ!と必死になる国との比較で考えると、たぶん「全くない」というレベルだと想像する。

そこで日本勢が結構メダルを取ると言うことは、素の状態で戦うと日本人って結構良い線行ってるんじゃないかとふと思えてきた。

日本の場合、オリンピックやスポーツ振興のために過剰な支援が国からあるわけではない。ま、これはスポーツに限ったことではなくて、トヨタが今アメリカからいじめられているけれど、ビジネスの世界でだって似たり寄ったり。日本て集団にならないと目立たない国と思われているような気がするけれど、どの分野でも、それなりに頑張っているのは個人かこぢんまりした団体で、他の国も同じレベルの支援しかしなくなると、結構日本人が前に出てくるのではないかと思ったりする。

でも、「国を挙げて」みたいなことが横行してしまうと、個人の力で頑張ってきた日本人は片隅に追いやられてしまう。私財を投じ、周囲に援助してもらって、孤軍奮闘、せっかく頑張ってきたのになんだかお気の毒だ。

でも、オリンピックって、本当はそうあるべき行事ではないかと思う。だってアマチュアの祭典なんだから。

それなのに大々的に国に支援された人が勝っちゃうんだからなんだかやるせない。

そしてパラリンピックの日本代表の皆さん、普段はまったく応援も支援もしていないのに、こう言うときだけ矛らしく思ってごめんなさい。

2010年3月17日水曜日

米兵

沖縄でまた、米兵による自動車事故が起きた。

この種のニュースに接する都度思うのだが、なぜ米兵は必ず基地に逃げ込むのだろうか。

相手を救援せず、謝りもせず、ひたすら基地に逃げ込む。

ま、今回は飲酒運転の女性兵士のようで、基地に逃げ込んではいないようだが、それにしても現場に留まらない点ではみな同じ。

つまり、米軍は「事故を起こしてしまったら、とにかく基地に戻りなさい」
「怪我人が出ようが何だろうが、まずは基地に戻ること」と兵士に教育しているのだろうか。

日本に基地を作る必要があるのかないのか、必要はないが安保条約があるから駐留してやると思っているのかどうか、米国の考えは分からないが、現実に基地があって、再編問題もあって、沖縄の人があれほど嫌がっているのに、なぜ兵士に道徳教育を施さないのだろうか。

日本だけに原爆を落とすと決め、実際に落とした国である。

トヨタに対しても、感情的なバッシングがあるように思える国である。

どうも見下されているような気がしてならない。

2010年2月26日金曜日

オリンピック報道--女子フィギュアスケート

男女のフィギュアスケートが今日で終わった。

異常な加点・採点は相変わらずだった。

まず、男子のショートで高橋大輔選手の得点が4回転を飛んだプルシェンコの得点と僅差だった。高橋選手はフリーでは4回転を飛んだが、ショートでは飛ばなかった。

でも、いい加減なことに、応援している選手の異常加点は意外に気にならないものだ。

おとといと今日の女子の結果については、男子の結果を見ればほぼ予想できるものだった。むしろ、ショートの得点差が常識の範囲内でほっと胸をなで下ろしたのも束の間、今日は最悪の事態となった(いや、ロシェットが何とか3位に収まってくれたので、最悪の事態よりは少しマシかもしれないが)。

思うにフリーでのキムヨナ→浅田真央の登場順がキムヨナへの異常加点につながった気がしてならない。

ここから先は個人の勝手な妄想だが、キムヨナはとりあえず無難にプログラムを終えた。しかし、浅田選手はこれからで、プログラムにはトリプルアクセル2回が含まれている。彼女はショートでは完璧な滑りを見せた。

と言うわけで、まだ見えない浅田選手の影に審判団が怯え、浅田選手がどんなに素晴らしいスケートを披露しても、とりあえずキムヨナが金メダルを取れるように個人個人でせっせと頑張った結果、あのGOEとなったのではないだろうか。今後は男子の方でご活躍下さいと言いたくなるような銀河点になってしまった。

で、確かに手に汗握る迫力満点のフリープログラムになったのは確かだが、なぜ浅田選手とキムヨナをセットで報道するかな~、日本のテレビ局。

男子のフリーが終わったとき、夜のオリンピック報道番組で録画を放送するのは百歩譲って仕方ないとしても、今日のNHK。何で、「では最後に金メダルを取ったキムヨナ選手のフリープログラムをもう一度ご覧に入れましょう」ってことになるかな。

やるなら、「最後に全員入賞を果たした日本人選手3人のフリープログラムをもう一度ご覧下さい」なら分かるが、なぜここで外国人の映像を見せられなければならないのか。

男子のフリーを放送したとき、最後にライサチェクのプログラムをもう一度放送したか?

それともキムヨナは我が国の選手ですか? もうじき我が国に住んでいるこの国出身の人たちが参政権を取得するそうですから、日本の国民はどっちが勝っても我がことのように嬉しいという心境でいると思っているのだろうか。

とりあえず、キムヨナの報道にはうんざりした。初めてライバルとして報道されるようになってから、マスコミがあまりにキムヨナを褒め称える報道ばかりするものだから、私はこの選手が段々嫌いになってきて、今では顔も見たくないし、名前が耳に入ってくるのも嫌なくらいだ。

私以外の日本人はキムヨナを応援していたのだろうか。なぜこれほど大々的に彼女のことが報道されるのだろうか。そう言う需要があるのだろうか。

今日は生まれて初めて、NHKへの受信料の支払いを打ち切ろうかと思ってしまった。

2010年2月4日木曜日

朝青龍引退

朝青龍がとうとう引退してしまった。

何かと問題の多い横綱だったが、圧倒的に強かった。

去年、一度負けるとばたばたっと負けて優勝争いから脱落することが増えたので、そろそろ体力的に限界なのかなと思っていたら、初場所は1敗するも、その後は千秋楽の白鵬戦は落としたものの、危なげなく優勝を決めた。今年もまだまだやれそうだった。

それなのに…。

毀誉褒貶の多い横綱だったから、他の大横綱のように若い力士に負けて俯いて「体力の限界を感じた」と言って引退を表明する姿は想像できなかった。

こうなったのは残念だけれど、前からこうなるのは分かっていたような気がする。

朝青龍も引退記者会見は立派に務めたと思う。

この間の他の力士の引退相撲での土俵入りなどで罵声を浴びせられていた姿を見るのは忍びなかった。そこまで罵声を浴びせられて、ふてくされて姿を見せずに引退してしまっても、朝青龍なら考えられないことではなかったが、最後はマスコミにもいたわりを見せた。

もうあの蒼き狼のような相撲を見られないのは溜まらなく寂しいが、そう言う相撲を見せてくれてありがとう。

日本の国技としての相撲の心技体が揃った横綱ではなかったけれど、私は横綱のファンでした。

今までお疲れさまでした。

2010年1月26日火曜日

民意

名護市の市長選挙が終わり、基地移転反対派の市長が誕生した。

民主党は確か、選挙の時から県外移転を沖縄県民に訴えていたような気がする。

民主党は確か、政権交代後に現行案では民意に添わないと言っていたような気がする。

民意民意と連呼しているうちに日米合意の実現がずるずると引き延ばされ、トラストミーと首相は言いながら、やっぱり民意(と社民党)は無視できない、名護市長選挙の行方も見守りたいなんて言っていたような気もする。

民主党は民意を重んじて決断するんだな~と思っていた。

そして反対派の候補が民主党と社民党と国民新党の3党の推薦を受けて当選した。

名護市民は何度も選挙で民意を問われ、3度まで(だったかな)無理矢理賛成した。無理矢理納得して基地を受け入れようとしていた。

それがここに来て、民意を通してくれそうな政権交代が起きて、民意に沿う移転反対派の候補を与党が推薦し、それならと市民は思い切って反対派に票を投じてみた。当然、期待は大きい。

そうしたら、直後から首相は基地移転はゼロベースで検討すると言い出した。

官房長官は、国の安全保障なのだから、必ず民意に沿わなければいけないと言う問題ではないと言い出した。

民主党は移転反対派を応援していたんでしょ。応援すると言うことは、沖縄県知事も言っていたけれど「普通に考えれば、基地の県内移転はないということ」じゃないの?

もう何が何だか訳が分かりません。

2010年1月8日金曜日

シー・シェパード

ご存じの環境保護団体。

アディ・ギル号というスパイダーマンに出てきそうな漫画みたいな格好の船を投入し、あの格好は大海を航行するには不安定なんじゃないかと思っていたら、故意か偶然か、どちらかと言えば故意かな~、日本の船とぶつかって、早くも沈没してしまった。

日本の船にぶつけられて、救助もしてくれなかったとの抗議声明を出しているようだが、今日の新聞記事には、アディ・ギル号が漂流していて、付近には搭載されていた諸々の物に混じってボーガンの矢のようなものも漂流しているそうだ。日本の船に向けて矢を放つつもりか。まるで海賊だ。

前々から思っていたのだが、欧米人というのはそもそも狩猟民族の出のせいか、すぐに手が出てくるような気がする。

捕鯨に関しては、ちゃんと国際会議で話し合いが行われていて、平行線とはいえ、調査捕鯨枠は認められていて、日本はその線に沿って行動しているに過ぎない。何のやましいところもない。

で、欧米人というのは自分たちの言い分が話し合いで通らないとすぐに腕力に頼る。

そもそも体格が勝っているので、腕っ節なら負けないと思いこんでいるのだろうか。

鯨がほ乳類の中で知能が高いとか絶滅が危惧されるとか、そう信じるなら、会議の場で地道に相手を説得しなければならない。相手の話も聞かなければならない。それが話し合いというものだ。

鯨の命を守るために、人間の命を危険にさらして良いと思うのは本末転倒だ。

それとも欧米人から見れば黄色人種の命は鯨より下ですか? 太平洋戦争の時は、原爆をドイツに落とさず、日本に落とし、その後、朝鮮半島にも落としそうになりましたよね。

肌の色で上から目線になるのはそろそろ辞めましょう。