2009年12月24日木曜日

国会議員のバッヂ

鳩山総理が元秘書が起訴されたことに関してなぜだか「衆議院議員」として謝罪会見を開いた。

ご本人が蕩々と言い訳と釈明を述べた後、記者との質疑応答になり、最初の質問が、自民党の加藤紘一議員の秘書が起訴されたときの自身の発言についてだった。曰く

自分にそうしたことが起きたら、国会議員のバッヂを外します

と言ったことと、今回の出来事との整合性は?というものだ。

それに対して総理は、自分の秘書は私利私欲のためにやったのではないから、あの時とは違う、だから私も辞めないと言うように答えていた。

つまり、秘書が私利私欲ではなく、滅私奉公でお金持ちの家の中での親から子への密かな大金の受け渡しを実行してあげるのは実は構わないと言うことなのだろうか。

要するに、お金持ちの場合は、お坊ちゃんがあずかり知らぬところでいつの間にか親のお金が自分のところに移動していても、それは大した問題ではないと言われたような気がした。

日本のお金持ちの方、良かったですね。総理がそうおっしゃっています。総理がおっしゃるのですから、同じようにしても、きっと大丈夫でしょう。遺産相続より生前贈与の方がお得なんでしょう。大いに勉強させてもらいました。

2009年12月19日土曜日

ウェルかめ

大リーグで松井がLAエンジェルスへの移籍を決めた、

そのニュースの関連で、イチローが同一地区に松井が来たことを歓迎するコメントを発表して、その冒頭で「ウェルかめ」と言っていた。イチロー、ウェルかめを見ているのね。

ところが、このコメント、フジテレビのニュースではそのまま使われていたのに、なぜだかNHKのニュースでは「ようこそ」になっていた。…なぜ?

視聴率が低迷していると言われる朝の連ドラ。せっかくイチローが宣伝してくれたのにNHKはなぜそのまま報道しなかったのだろう。

と言う疑問はさておいて、この「ウェルかめ」、評判も視聴率も良くないみたいだけれど、結構私は好きです。

主人公が可愛い。胸に目がいってしまうと言う意見もあるけれど、そう言うことは気にならないからマイナス点にならない。

家族構成が「ちゅらさん」風の、素敵で良くできた優しいお母さん、はちゃめちゃだけど明るく家族思いのお父さん、ちょっとしっかり者の弟、大事にされてる、そうされるだけの風格がある愛すべきおじいちゃんで、安心してみていられる。

「つばさ」のすっ飛びすぎた家族のドタバタは正直に言って朝から見ると疲れてしまう。

主人公が勤務する「ゾメキトキメキ出版」も魅力的な編集長と社員が揃っていて、会社自体の人を育てる社風が感じられるので、局面が実家になっても会社になっても楽しく見ていられる。

「かめへんろ」の勝乃新も宇宙人的人物で、現首相の宇宙人よりずっと大好き。

でも、何より好きなのはウミガメ。ドラマに時々登場する本物がぴらぴら泳いでいるところを見ると、それだけで癒されてしまうが、オープニングのアニメのウミガメ君もとても可愛い。

町に探検に出て、寝込んでしまって、なぜだか慌てて山に登るのだけれど、最後のところで息切れしながら、手をふーふーと動かしながら頂上にたどり着くと言うシーンが大好き。

でも、なぜだか知らないが、このシーンだけ写るときと写らないときがある。残念ながら今週は写らなかった。来週は是非そのシーンを拝みたいな~。

2009年12月18日金曜日

死刑判決

土浦の連続殺人事件で犯人に死刑判決が下ったそうだ。

記事によると、退廷する際、被告は満足そうににやりと笑ったように見えたとあった。

この犯人は元から死にたいという願望があったが、自殺できなかったために死刑になろうとして事件を起こしたと言っている。

それで死刑判決というのは思い通り、希望通りで、それで良いのかと思ってしまうが、記事の中では亡くなられた遺族の方もそう言う忸怩とした思いを抱かれているように書かれてあった。

死刑の執行というのは、たぶん清く正しく生きているであろう刑務所勤務の方が刑務所勤務と言うだけで仕事の一貫として殺人行為を行わなければいけなくなる苛酷な業務だ。

以前にこういう我が儘な自分勝手な動機で罪もない人の命を奪った人間は、死刑の前に臓器移植に同意すべきだと書いたことがあるが、それに加えて、死刑も

自分で執行してもらう

ことにすればいいのではないだろうか。つまり、準備だけしておいてあげるから、自分で首を括ってもらうとか、自分で薬物を注射するとか、自分で薬を飲むとか…。

この犯人に関して言えば、死刑を執行する刑務官の方も気が楽になるだろうし、そうするのが遺族の方にとってせめてもの慰めになるのではないだろうか。

2009年12月12日土曜日

自衛隊、大丈夫か!

苫小牧で自衛隊員のお友達数人が立入禁止区域の防波堤にプレジャーボートで行き、天気が荒れてきたので帰ろうとしてボートが転覆して遭難し、ほとんどの方が亡くなってしまった。

お気の毒なことである。

しかし、立入禁止区域に侵入して魚を釣る傍若無人な輩というのはよくニュースで取り上げられている困った問題の一つである。自衛隊の人にはやってもらいたくない。

おまけに現場は最初はどうだったか知らないが、荒れ模様の天気で、ニュースでインタビューした漁師さんが「自分なら行かない」と言っていたような危ない天気だった。

そんな状況だというのに、さらに事態を悪くすることに定員をオーバーしてボートに乗り込んだわけだ。

自衛隊、大丈夫なのでしょうか。

不幸な結果になっていて、亡くなった方を悪く言うようでちょっと気が咎めますが、そしてこういう二重三重の判断ミスをする人ばかりとは思いませんが、自衛隊はとりあえず戦闘集団で、極限の状態で国のために戦うこともまるっきりないとは言えないわけで、とぎすまされた神経の持ち主の集団であって、万が一つの判断ミスも犯さないと、我が命を託す国民としては思いたいのですが、天気が悪いのを見過ごして立入禁止区域に侵入して釣りをし、帰ろうとして定員オーバーでボートがひっくり返るって、ちょっとどうかなって思ってしまった。

とりあえず、日本は専守防衛ですし、戦争は放棄しているし、大丈夫とは思うけど…。

2009年12月11日金曜日

むかっ

天皇陛下が1ヶ月前の予定調整という慣例を破って(破らされて)中国の要人と拝謁することになり、宮内庁長官が苦言を呈しているが、首相は「1ヶ月前と杓子定規に決め付けるのはいかがなものか」とのんきにコメントしているらしい。

「杓子定規」でないのはどういう場合なのか。

天下りはダメと選挙の時から連呼し、事業仕分けでも天下りが何人いるかをしつこく確認し、でも日本郵便には「適任だから」天下りはOKだって。

この「適任」の基準は何なのか。日銀総裁の時と日本郵便社長の時と、同じ大蔵事務次官経験者でどう違っていたのか。

民主党政権になって疑問に思うことはたくさんあるが、まずは「杓子定規でなくても認めていい場合」と「適任の基準」について、明確な説明が欲しい。

2009年12月6日日曜日

フィギュアスケートの醍醐味

フィギュアスケートのグランプリファイナルが昨日終わり、日本人選手は女子・男子ともに最高位が2位という結果だった。

以前から冬の風物詩としてフィギュアスケートを観戦するのが好きだったが、最近は日本人選手の活躍でさらに見るのが楽しみになってきていた。

ところが、ここ数年はどうも趣が違ってきたように思える。専門的な知識があるわけではないので、細かい指摘はできないが、見ていて詰まらなくなってきた。

なぜか。

フィギュアスケートはスポーツだし、こうした試合に出場しているのは一応アマチュア選手だ。だから、最高を求めてベストを尽くす姿を期待したい。だが、最近は「最高を求めてベストを尽くす」というのは、華々しい大技、難易度の高い技に挑戦するのではなく、内容を変えず、一つの技の完成度を高めるという方向性が顕著になってきているようだ。

すると、選手は自分の自信のある技だけを織り込んだプログラムを淡々とこなすようになって、こぢんまりとまとまっているかもしれないけれど、見ていてハラハラドキドキするけれど、成功した暁にはすかっとした感動を覚える…と言う内容が期待できなくなってしまった。

それでも、まだ大技に挑み、自分を高めようとする選手はいるから、期待してテレビ観戦するのだが、結局のところ、無難にこなした選手やレベルを提げてそつなくまとめた選手が上位を占めてしまう。面白くないなあ。

国際スケート連盟が規則を変え、ポイント制度を変えて、そう言う風になるようにフィギュアスケート競技の内容を変化させてきたのだそうだが、どうしてそう言うことをしているのか疑問だ。

オリンピックが終わるまでは混乱の元になるからさらなる変更はないかもしれないけれど、オリンピック以後はもう少しフィギュアスケートの醍醐味が味わえるような方向に進路変更してもらえると一ファンとしては有り難い。


具体的に言うと、

高橋大輔 頑張れ!
浅田真央 頑張れ!

2009年11月28日土曜日

治療費は1千万円?

韓国の射撃場で起きた火災に関する記事を読んでいたら、遺体の引き渡しに当たって入院先の病院が治療費1千万円を要求しているのだとか。

1千万円?

治療費が?

そりゃ、火災だし、死亡するくらいだから全身大火傷だったのだろうし、14日に火災があって、亡くなったのが27日として、入院したのは13日間。

火傷、特にひどい火傷は高度な医療を必要とするはずだ。

以前「クラッシュ」という本を読んだことがある。この本を書いたのは自動車レーサーで、レース中にクラッシュして車が炎上し、全身大火傷を負った。今は社会復帰しているが、そうなるまでの治療はものすごく辛いものだったそうだ。

最初に運び込まれたサーキットから最寄りの病院では、サーキットに近いだけあって救急医療のレベルはそれなりでも、大火傷の治療となるとやはり専門の病院でなければと言うことになり、確か家族の強い要望か何かで、病院側が今動かすと命の保証はできないと反対するのを押し切って、東京の病院に転院して、そこで専門的な治療を受けて、何年もの辛い治療を耐えて、やっと精神的にも肉体的も社会で生活できるところまで快復したのだそうだ。

13日で1千万円とすると、本には書いてなかったけれど、億単位の治療費がかかったのだろうか。いくらレーサーでお金持ちでも返済するのが大変そうだ…。

で、担ぎ込まれた韓国の病院ってそういう火傷の専門病院なのだろうか。そう言う高度なレベルの治療を施してくれたから1千万円なのか。まだ入院治療中の日本人患者にも同じように請求する方針のようだとか書いてあったけれど、同じ事故に遭った韓国人にも同じように請求しているのだろうか。

新聞記者って、そういうことは疑問に思わないのだろうか。よっぽど電話して聞いてみようかと思ったけれど、勇気がないので電話はかけられない。でも、万が一自分が火災事故に遭遇して、大火傷を負った場合、今回の治療費のことを思い出して、病院行きを拒んでしまいそうだ。

2009年11月26日木曜日

首相は甘え上手

鳩山首相、お母さんから9億円ものお金をもらっていたとか。

もちろん、これではマズイということで、「貸し付け」たことになったらしいが、ご本人はまったく知らなかったので「驚いている」のだとか。

鳩山家は代々政治家の家柄だ。政治家の舅と夫を持ち、息子たちも政治家に育て上げた女性が本人に内緒で9億ものお金を「貸し付け」るのだろうか。是非ご母堂のお話を伺いたいものだ。

ついでにお兄ちゃんに9億円なら弟君にはどのくらいのお小遣いを上げたのだろうか。これも是非伺いたい。

しかし、年末ジャンボで運良く一等を引き当てても、鳩山家の親子間のお金の移動の足元にも及ばない。うらやましいことだ。

2009年11月20日金曜日

きれいどころ、やっと登場

大相撲九州場所が日曜から始まった。相撲を見るのは好きだが、客席も結構見所満載で、時々芸能人などの有名人が座っていたりする。大勢の中のたまにしか写らない場所に勝負の合間を縫ってめざとくそう言う人を見つけたときはすかーっとした気分になる。

もう一つ、九州場所が待ち遠しいのは博多検番のきれいどころが勢揃いするからだ。それに気が付いたのは昨年の今頃。カメラが正面から向こう正面を写すと、一列、他と雰囲気の違うところがある。芸妓さんが黒紋付きでずらっと居並んでいるのだ。年末によく、京都で芸妓さんや舞妓さんが歌舞伎を見に来る総見をニュースで見ることがあるが、ちょっとそんな感じ。

芸妓さんたちは暑いらしくてせっせと扇子で仰いでいる人も多い。そして大関の取り組みが始まる頃、一斉に帰ってしまって横綱戦の時にはいたことがない。お仕事が始まる時間なのかしら。

と言うわけで、今場所も楽しみにしていたのに、日曜に目を凝らして向こう正面を捜しても芸妓さんたちは一人も座っていなかった。あれって去年だけのことだったのかな~とがっかりしていたのだが、今日テレビをつけたら姐さんたちがずらっと居並んでいた。舞妓さんの色とりどりの着物も華やかで綺麗だけれど、黒紋付きでぴしっと居並ぶ姿もまた壮観で見ていて気持ちがいい。

テレビをつけるのが夕方5時位のせいか、アナウンサーはなぜそこに黒紋付きの姐さんたちがずらっと座っているのか全然話題にしてくれない。もう少し早くからテレビを見ればちらっとは取り上げているのかもしれないが、仕事があるんだからそうも言っていられない。なぜそこに姐さんたちがいるのか分からないけれど、しばらくの間は目の保養ができそうだ。

2009年11月19日木曜日

ロメス

NHKの木曜ドラマ「ロメス」を見た。



ずっと熱心に見ていたわけではないので思い違いもあるかもしれないが、大体の粗筋が見えてきた。



男の子が心臓病で入院している。退院するには心臓を移植するしかない。その病院には長期入院中の様々な病気の子どもたちがいて仲がいい。



ドナーが現れ心臓がもらえることになったが、空港の誘導灯が停電によって点灯しなくなり、心臓を運んできた飛行機が空港に着陸できなくなり、その男の子は死んでしまった。



入院仲間の子どもたちも、男の子の姉も悲しんだ。



で、謝りに来た空港の幹部にも偶然にも同じ病院に同じ病気の娘が入院していて、子どもたち+姉の悲しみは怒りに変わり、子どもたち+姉はチームを組んで、幹部の娘が心臓移植を受けるために空港から渡米するのを阻止しようとする…



と言うのがここ数回で見えてきた粗筋だが、先週から今週にかけて、このチームの一員が復讐する中で目的を達成する前に命を落としてしまった。



よく見ていなかったツケでよく分からないのだが、どうもこの娘さんも心臓病だったようだ。それなのに仲間の危機を回避するために走って発作を起こして死んでしまったらしい。なので子どもたち+姉は死んだ仲間のことは忘れたようにさらなる復讐劇へと突っ走る…



見ていて違和感。



だって、仲間が死んでしまって、復讐を誓うほど、みんな愛情深いし、悲しかったわけで、それなのにその途中で次の仲間が死んでしまったときは、みんなあっけらかんとしているんだもの。



こういうのって、ドラマを見ていると結構よくあるのだが、主人公(今回のは主人公ではないけれど)は特別扱いなのだ。主人公にだけは回りの登場人物が異常に強い思い入れを抱いているのだけど、同じようなことが主人公以外の仲間に起きても「ふーん」みたいな素通りの仕方をする。



そう言う場面を見ると、一気に冷めてしまう。だっておかしいでしょ。



仲間が死んだら悲しいんでしょ。空港のトラブルで心臓が届かなかったんだから、そりゃ悔しいでしょ。



でも、そのために自分たちと同じ病院で闘病している人が、それも同世代の若い子が死ぬようなことを、そういう優しい人たちができちゃうわけ?(とりあえず、そんなことしていいわけないって仲間の子どもたちは思い始めている様子が最後の方で描かれていたけど)



そのために一緒に悲しんだ仲間が一人死んだって言うのに、そっちに対しては「じゃ、あいつは抜きで次行こう」なんて簡単に思える? 仲間1が死んだときと同じ反応をするのが自然ってもんじゃないでしょうか。パブロフの条件反射って言う反応だってあるわけだし。



というわけで脚本書くときは、もう少し無理のないようにお願いしますです。

2009年11月18日水曜日

一番になることは無駄か

政治のことは分からない。分からないからエラそうなことは言わないようにしている。

…しかし、事業仕分けをニュースで見ていたらどうしても一言言いたくなった。

文部科学省の予算がばっさばっさと切られているシーンがニュースで連日報道されているようだ。

文部科学省というのは、企業で言えば「研究開発部門」に当たると思う。つまり、中長期的に見ると競争力や志気という点でとても大事な仕事をするところだと思っている。

企業もそうだけれど、研究開発というのは、吉と出る可能性もあれば凶と出る可能性もある。いわば博打のような側面があるけれど、それを恐れていては先に進めない分野だ。特に採算が重要な企業と違って、国なら採算を度外視した夢の構想に投資することだってできないことはない。

次に、そうした大きなプロジェクトをやるなら一番を目指さなければならない。巨額の資金が必要なのだ。「成果は程々で良い」と思ってやってもらっては困る。

それなのに、「ここで一番になるとどういうメリットがあるのか」みたいなバカなことを聞いている議員がいて、見ていてがっかりしたりカッとしたり。

例えばロケットの予算。日本は戦前世界トップの航空技術を持っていた。零戦のように自在に空を飛べる戦闘機は当時他のどの国も作ることができなかった。

あのアホな戦争をやってしまったお陰で、敗戦国としてそうした技術をことごとく取り上げられ、使用禁止にされ、研究もできなくなり、日本の航空技術はほぼゼロになってしまい、今でも世界の航空機市場で大きく後れをとっている。最近になってやっと、少しずつ外国から買ってもらえるレベルの航空機を製造できるようになってきたようだ。

ここまで来るのに戦後50年以上かかった。ロケットに関してはまだ有人飛行を実現できていない。それでも、先日のHTVだっけ、無人ロケットは地球から制御して宇宙ステーションに物資を運び込むのに成功した。

そう言う素晴らしいレベルまで来た。

それなのにスパコンもロボットも「費用対効果」みたいな短期的な商人の理論ですぱっと切られてしまった。

悲しいことだ。情けないことだ。

日本には国土がない。資源がない。あるのは技術だけなのに、国からの未来に投資する援助がなくなって、どうやって技術立国できるのだろうか。技術もなくなる国で、未来の子どもたちはふぬけになって他国の属国になって生きていくのではないだろうか。なんだかぞっとしてしまった。

2009年11月13日金曜日

臓器移植

先日テレビで心臓移植を待つ患者たちのドキュメンタリーを見た。中学生の時に心臓病になって、今20歳という若者もいた。明るく生きようとしてはいるけれども、お腹に力が入っていないと言うか、心臓がちゃんと動かない状況では、頑張ろうとすると身体に負担がかかってしまうので、まだ若いのに病室の中に閉じこめられているような生活しかできないのが実に気の毒だった。

その一方で今日は土浦の通り魔事件の金川被告の裁判があって、こちらは元気いっぱい、五体満足の身体を持ちながら、死にたいのに自殺はできないので、死刑になる目的でこういう事件を起こした…のだとか。判決で死刑が出なかったら、さらに2,3人殺すとうそぶいているのだと今朝の新聞に書いてあった。

最近、死にたいと思って、でも死ねないので「殺してくれ」的に凶悪犯罪を起こす許せない人間が結構いるようだ。死にたいと思っている人を死刑にするのは、適切な判決とは言えないと言う気がする。死にたいのだから、死なせないことが最大の罰になるのではないかと思うからだ。

でも、遺族や被害者の思いは「死刑」なのだろう。

そうであれば死刑は死刑として、せめて臓器移植のドナーにしたらどうだろうか。凶悪犯の臓器なんて、誰ももらいたいと思わないかもしれないけれど、死刑執行の条件としてドナーになることを快諾してもらう。できれば全身すべてでお願いしたいです。

患者さんも凶悪犯罪者で、しかも嫌がっているのに死刑になった後で勝手に取り出した臓器をもらうのは、全然有り難くないと思うので、その辺りはきちんと「是非使ってください♪」的な気持ちを表明してもらうように刑務所の方で頑張ってもらうというのはどうだろうか。

こんなのは真冬の夜の夢かな

2009年11月9日月曜日

変な国日本

ずいぶん長い間放置してしまった。ブログを更新し続けるのは結構根気の要る作業だと実感。

ところで、イギリス人の女性英会話殺害容疑で指名手配されている市橋容疑者。誰もがもう自殺していると思ったら、大枚持って久しぶりに表舞台に登場したのでびっくり。なんでも一年ほど大阪の建設事務所に勤務していたのだとか。

建設事務所に勤務して、住み込みで衣食住の面倒を見てもらって一年で百万円の貯蓄…。

と聞くと、派遣村の人たちは何だったんだろうかと思ってしまう。指名手配者でも一年で百万円を貯蓄できるのに、この人たちはなぜ自力で生活できなくなってしまったのだろうか。なんだか不思議だ。

2009年1月14日水曜日

バス

所用があって最寄りのバス停からバスに乗った。そのバス停がその路線の始点でまだ出発まで時間に余裕があった。乗り込んだら運転手さんが「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~」と言って迎えてくれた。バスの運転手さんからそう言われたことがないので、なんだか奇妙な気分になった。

座席に座っていたらふと思い出したことがあった。

その昔、結構まめにフォーミュラ・ワン、つまりF1観戦に行っていたときがあった。お目当てはアイルトン・セナで、今思うと不思議なくらいセナはこの世の人間に思えなかった。この世のものと思えないセナのレースを見たい一心で、年に一度は日本GPがあるから、その時に鈴鹿に出掛け、それだけでは物足りないので、どこか外国のレースも年に一回は見に行っていた。

いつの年だったか、その年はイタリアGPを見に行った。イタリアGPはミラノ近郊の大きな公園の中にあるサーキットで開催される。せっかくなので観光も兼ねて出掛けてミラノに宿泊し、GPにはバスで通うことにした。

イタリアでバスに乗ろうとすると、乗る前に切符をタバコ屋さんで買っておかなければならない。で、タバコ屋さんはバス停の前にあるかと言えば、そう言うわけでもなく、どこにあるという看板もないので、田舎者は右往左往してしまう。この事情ははるばる極東の国からやってきた日本人だけでなく、どこから見ても西洋人の顔をした人たちも同じようで、なぜだか分からないが、GPに通った3日間で何度も西洋人がどう見ても東洋人の私たちに「タバコ屋はどこ?」と聞くのでおかしかった。

で、バスに乗って行くのだが、日本GPだと鈴鹿サーキット行きのバスは当然だけど、日本GPの観戦客しか乗っていない。でも、イタリアでは「観戦客はどこ?」と叫びたいくらい普通の人しか乗っていない。GPの会場になる大きな公園は元々は王宮だったとかで長い塀がずーっと続いていて、もう公園の一角に着いているんだろうな、くらいは田舎者の日本人にも分かる。

バスの中はがらがらだ。しかし、道路は大渋滞で、なかなか進まない。気のせいか向こうの方でF1マシンの轟音が聞こえるような気がしてきた。すると、突然バスが止まって扉が開いた。停留所に着いたわけではない。私たちは帰りの停留所の場所を知りたかったので、途中下車するつもりは毛頭なかったが、運転手が何か喚いている。その時バスに乗っていたのは、私たち二人組と、北欧系の金髪青い目の若者二人組の二組だけで、そのどちらも降りる気は毛頭なくて、口々にまだ降りないと英語で言ってみたが、運転手はイタリア語で何か喚いているばかりでバスは止まったまま。

仕方ないので降りた。降りたときに北欧組(と勝手に決めつけている)に「バスの運ちゃんは何と言っていたと思うか」と聞いたら、「よく分からないけど、たぶん渋滞していて全然進まないから、ここで降りて歩いて行け。その方が早い」と言っていたのだと思う」という推理だった。

なるほど。

しかし、この日は行きも帰りもバス停とサーキットの関係が分からなくて大いに迷ってしまった。タバコ屋も見つからなかった。帰りはさすがにどこで乗ってもバスは大混雑で、タバコ屋が見つからなくて切符も買えなかったけれど、幸い検査官も乗り込めないくらいの混雑だったので、摘発されず、罰金も取られなかったから良かったと言えば良かった。

その後、日本GPを見に鈴鹿に行った。早起きして近鉄線白子駅に行く。駅からはバス会社の人が慣れた手順で観戦客をさばいて順々にバスに乗せ、満員になったバスは順々にサーキット目指して出発する。ここまでの手際は見事だ。さすがは日本人だ。

しかし、途中まではスムーズなのだが、サーキットに近付いてくると、マイカー客も来るせいか、だんだん道が渋滞してきて、そのうちに「ウィーーン」というF1エンジン特有の甲高いエンジン音が聞こえてくるようになってきて、そうなると早く実物を見たくてうずうずしてくるのだが、バスは全然動かない。

満員の乗客はしんとしているが、心は一つ。早く着いてくれ! それしかない。後ろの方にいた私たちはイタリアのことを思い出していた。イタリアの運ちゃんはまだサーキットがどこにあるか分からない段階で「歩いた方が早い」と言って、嫌がる乗客をバスから降ろした。

今、鈴鹿サーキットは畑の向こうに見えている。ここからなら迷わずに行ける。迷ったって、道を聞く相手は日本人だ。どうにでもなる。とは思うが、バスは満員で、運転手さんのところまではとてもたどり着けない状態だ。

と思ったら、運転手さんの横当たりにいた男性が運転手さんに話しかけている。どうやら「ここで降ろして」と頼んでいるようだ! やったね! すぐにでもバスの扉が開くのではないかと期待したが、甘かった。ここは日本だ。どうも日本の道交法だかなんだかでは、路線バスはバス停以外のところでは乗客を乗り降りさせてはいけないようなのだ。

と言うわけで、私たちはそれからしばらくの間じっと我慢の子で、サーキットに早く着け~とひたすら心の中で祈り続けるしかなった。

そんなこともあったっけ、懐かしいな~。と物思いに耽っていたら、バスが出発した。乗客はぱらぱらとしか乗っていないが、みんな乗るときに「いらっしゃいませ~」という運転手さんの奇妙な歓待を受けていた。その後乗ってくる乗客はいなくて、バスが進むにつれて一人降り二人降りして、私も終点の1つ前のバス停で降りて、バスは無人になって行ってしまった。