2008年12月8日月曜日

へぇ~っと思った記事

今週の週刊新潮を読んでいたら、巻末のグラビアになる直前に「変見自在」という記事があって、何気なく読み始めたら結構面白い内容だった。

ちょうど今、3人の日本人がノーベル賞の授賞式に出席しようとしている。ずいぶん前に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したのが日本人の第一号だっただろうか。その後あれよあれよという間にずいぶん大勢の日本人がノーベル賞を受賞していて結構すごいことだと思っていたのだが、この記事によれば、日本人の実力は実はこんなもんじゃないのだとか。。

つまり、第一回のノーベル医学賞の受賞者はドイツ人だったが、実は北里柴三郎が共同研究者であったのだとか。で、黄色人種なので除外されたのだとか(←ひ、ひ、ひどいじゃないの!)。

同じ頃アドレナリンを発見した高峰譲吉という日本人がいたそうだが、この人は米国人に泥棒呼ばわりされ、さらにもう一人の米国人がその研究をいただいてノーベル賞を受賞したのだとか。高峰博士の存在はどこかに追いやられてしまったのだとか(←な、な、なんて図々しい!)。

そして鈴木梅太郎という人が発見したオリザニンとかいう代物は、米国人によってビタミンと改名され、さらにオランダ人がこの関連でノーベル賞を受賞したとか(←そ、そ、そうだったのか~!)。

TDK創始者の武井武という人はフェライトを発明し、これがビデオやステルス性能につながるそうだが、オランダのフィリップス社が「ちょっと見せて」と言ってサンプルをもらい、それを分解して特許を申請し、武井の名前は消されてしまった上、これを理論化したフランスの物理学者がノーベル賞を受賞したそうだ(む、む、むぅ~っ!)。

まだまだあって、ピロリ菌も実は慶応大学の小林先生が発見したそうだが、この研究でノーベル賞を受賞したオーストラリア人は小林先生のことはまったく語らなかったとか(ピロリ菌よ、おまえもか~!)。

と言うわけだから、と言うわけではないけれど、私は西洋諸国って日本のいいお友達という気が全然しない。特にアメリカ。お友達みたいな顔はしているけれど、あそこほどシビアでドライな国はないという気がする。

一応普段は日本に親切だけれど、議会で「従軍慰安婦について日本は謝罪せよ」みたいな議案を可決してしまったりして、余計なお世話だ、こちらはこちらで「風化させてはいけない」という民間レベルでの運動もあるんだ、と言いたい。そうやって時々日本にとって不愉快なことをやってくれるのだけれど、それでも仲良くあるためには、アメリカも率直でいてくれなくてはダメなのだ。

だけど、アメリカは原爆を日本に落としたことを未だに正当化している。あれでかえって大勢の命を救ったのだとかなんとか言っちゃって、「悪かった」とは全然言わない。それでいて、日本にはあれこれ上から目線で言って来るのだから、私は信用できないのだ。

ま、どこが信用できるかと言っても、日本が先の戦争以来遠慮気味だからと言って、領土問題で揉めている紛争地帯に図々しく船や飛行機を出してくる中国や韓国も嫌いだ。

私はこてこての島国根性の持ち主かもしれない。

2008年11月25日火曜日

高尾山で右往左往

毎年この時期になると高尾山に出掛けるのが恒例になっている。

今年はすでに11月の初めに出掛けたのだが、新たな高尾山未体験者が是非行きたいというので、急遽紅葉狩りに出掛けてみた。

高尾山に出掛けるようになったのは4,5年前のことだが、その頃はしんみりと紅葉狩りをして、ゆったりとおそばなんかをいただき、お土産屋さんを覗いて回って気が向けば買い物をすると言うことができた。

ところが、去年の勤労感謝の日に大した心づもりもなく出掛けたところ、すでに八王子の駅当たりから嫌な予感がしてきて、高尾で京王線に乗り換える頃には予感も何も、どう見ても全員高尾山に行くつもりだろうみたいな混雑になってきて、高尾山口駅に着いたときには駅構内トイレの行列、改札を出る行列、待ち合わせの団体が三つどもえになって大騒ぎだったし、ケーブルカーに乗るまでにどれくらい待っただろうかという混みようで、すべてがごてごてに回って、美味しいお昼をいただくどころではなく、帰りのケーブルカーに乗るのに2時間待ちになったことで、仕方なくケーブル高尾山駅の横にある食堂で食券を買っておそばを食べる羽目になった(これはこれで美味しかったけど)。高尾山口の駅を降りてからあちこちのお店から漂ってくるかぐわしいお団子やおそばやお焼きの匂いはすべて絵に描いた餅に終わった。

何故こうなったのかというと、なんでも高尾山は去年のミシュランで観光地の三ツ星に選ばれたのだとか。恐るべし、ミシュラン。

と言うわけで、今年は初心者を案内することでもあり、万事早め早めの展開で行こうと思ったにもかかわらず、出発からして少し遅れたため、やっぱり八王子当たりから去年と同じ状態になり、後はすべてデジャブ。

変なところでトイレに行きたくなって環境に余計な負荷をかけたくないと言う思いから、高尾の駅でトイレに行こうと思ったが、すでに駅のトイレは長蛇の列。念のために行っておこうと思っただけなので、とりあえずトイレはあきらめて、早くケーブルカーの清滝駅に行かねば!と言う気持ちで一杯になる。

しかし、高尾山口の駅も押すな押すなの人だかりで、何とか改札口に近付けた!と思ったら、そこは切符を持っている人の改札口で、SuicaやPasmoの改札口は長蛇の列。そこからケーブルカーの清滝駅までは、ただもうひたすら粛々と人の波に乗って進むだけだった。

清滝駅も案の定長蛇の列。整理の駅員さんに聞いたら1時間待ちとのこと。今回は初めて山頂まで行こうかという話になっていたので、せめてここだけはケーブルカーで登りたかったが、1時間待っている間に歩いていけば高尾山駅に着いてしまうので、やむを得ず、もっとも初心者向きの1号路から徒歩で登ることにする。とほほ。

ほとんどの人が清滝駅で行列を作っているはずだと思ったのは間違いだった。1号路も結構な人出で、下手をすると他の人とぶつかったり、ぶつかりそうになったりして、うっかり急な進路変更なんかは危なくてできないくらいだ。1号路は多少急坂ではあるけれど、舗装路だし、道幅もそれなりにあるので、ひいはあしてきたら路肩に逸れて、それほど見晴らしはよくないけれど一休みすることができる。そうやって休み休み登っていくうちにさすがに暑くなってきた。寒いと思ったのでたくさん着込んできたのだが、徒歩で行く場合はそこまで着込む必要はなかったかも。

大勢の人々と抜いたり抜かれたりしながら次第に高度を上げていき、眼下に圏央道を眺めたりしながら何とか高尾山駅に到着。見晴らしのよい休憩スペースがあるのだが、当然満員。のどが渇いたのでお茶を買ってのどを潤す。歩いてくるなら最初から用意しておけばよかった。

一息ついたのでまた気を取り直して出発。この先は薬王院まで比較的平坦な道のりだが、浄心門のところで意を決して4号路へ逸れる。

ここまで歩いてきたから薬王院にお参りに行ってそのまま帰ってきてもいいところだけれど、せっかく元気な初心者を案内してきたのだから、未知のルートを初体験してみることにする。

この辺りですでに高度は450メートルを超えていたようだが、4号路はいったん下りになるのでせっかく登った分の労力が台無しだ。勿体ない。下りだからいったん休憩モードになれるのだが、道は1号路に比べてぐっと狭くなり、おまけに後続の人たちがいて、前からは山頂から降りてくる人たちがひっきりなしにいるので結構怖い。何しろ柵もなく、道が狭くて、谷側は切り立っているので、立ち止まって景色を眺める余裕もあまりないが、見ると眩暈がしそうだったので、谷側には下りの人たちに歩いてもらうように山側にへばりついて歩いてしまった。でも、時々見上げると谷の一部に日が当たっていて、紅葉がとても綺麗だった。

しばらく行くと吊り橋があった。ネットで調べたときは音声付きでさらさらと流れる小川のせせらぎが聞こえたのだが、なぜだかこの日、川は枯れていて、吊り橋を大勢の人が渡るどたどたという音ばかりが響いていた。おまけに吊り橋だからえらく揺れる。別に断崖絶壁ではなかったけれど、渡っている最中に橋の強度が寿命を迎えたらどうしようかと思ってしまった。が、そんなこともなく、無事反対側にたどり着き、その辺りからだんだん上りになって、もうこうなると休憩ばかり。狭い道だから腰掛けるところもなくて、人の邪魔にならないようにただ端っこによけて息が戻るのを待つくらいしかできない。

もうすぐかな、もうすぐかな、と何度も地図を見ながら進むと、道が二手に分かれた。片方は下りに、もう片方は急な上りになっている。下りの方が4号路で、上りはいろはの森コースと言うものらしい。本来は4号路を行く計画だったが、この辺りになると、せっかく登ったものを下るのが勿体ないと思う心境になっていたので、4号路を離れていろはの森コースを登る。結構大変。ひいはあ。何度も休憩。

そうやってあの上の広場らしきものが頂上か!と何度か期待するうちに、他の道との合流地点に出た。1号路との合流点だった。合流したので人が増える。綺麗な紅葉がそこかしこで目に入るのだが、景色を楽しむどころではなくなる。人の流れに沿って進んでいくと、またもや他の道が合流してきた。4号路だ。人はさらに増え、その先に仮設の女子トイレが出現。当然長蛇の列。そこを過ぎて最後の坂道を上ると平坦な広場に出てそこが頂上のようだった。大勢の人がお弁当を広げているため、富士山だとか、遠くを見晴らす景色を見ようにも、大勢の人たちがそこかしこに陣取っているので、広場の真ん中からきょろきょろと四方を見回すしかなかった。

見回しているとアイスクリームの旗が目に入った。隣がおでんでこちらには長蛇の列ができていたが、上り詰めで汗ばんでいると、おでんよりアイスクリームという気分になる。幸い誰も並んでいないし。と言うわけでソフトクリームを作ってもらう。美味しかった! 昔、京都の醍醐山で山頂まで登った人たちがそこのわき水を飲んでその感想から「醍醐味!」と言う言葉が生まれたと聞いた覚えがあるが、本当に美味しかった。

しかし、弁当も持たず、長蛇の列に並ぶ気もない場合は、他にすることがないので、なるべくごちゃーっとした人混みが写らないように気を遣いながら紅葉だの遠くの山の稜線だのをカメラで写して、帰りは1号路で薬王院へ。

薬王院に近付くと、すごかったですね~。山頂に向かう群と下る群がそれぞれ左側通行で道をぎっしりと埋め尽くしているのだ。後はもう流れに沿ってゆっくり進むしかないという混雑ぶり。まるでお盆の時期の高速道路のようだった。

止まったり進んだりしながら薬王院にたどり着き、薬王院を出ると、その先は道が少し広くなるせいか、人混みがばらけてゆったりマイペースで歩けるようになった。このころ疲労がピークに。どうなることかと思ったが、とりあえずケーブルカーの駅まで行って下りの切符を確保しなければならない。去年は切符の他に整理券まで出していたのだから、もしそうなっているようなら、早く整理券をゲットして、待ち時間に応じてこの付近でお昼ご飯を食べようと思ったら、まだ整理券を出すところまで入ってなくて、でも行列はできていて、待ち時間30分とのこと。30分なら並んでしまって、清滝駅付近でお昼にすることにした。

列はなかなか進まない…ように思えたが、そんなことはなくて、大体30分ほどで改札口が目の前に見えてきて、その頃、行列の最後尾は待ち時間が1時間と言っていたので、並んで正解だった。2時少し前にケーブルカーに乗って行きは1時間近く歩いたところを5分で清滝駅に到着。

駅周辺の商店街はどこも混雑。午後2時だというのにケーブルカーもまだ長蛇の列。と言うわけでお昼を食べるのにも行列を覚悟して、柿の木が家の中を貫いているお蕎麦屋さんに入る。屋内の柿の木の横に名前を書き込むノートが置いてあって順番が来るまであと1ページ半と言うところだった。幸い待合いの椅子が空いたので座る。ふと思い立ってトイレにも行く。数人並んでいたけれど、駅や道中の公衆トイレほどの混雑はなく、程なく清潔なトイレで用を足すことができて、これは大正解だった。

座って待っているうちに疲れもすっかり取れて、またこのお蕎麦屋さんは結構大きな蕎麦屋なのでお客さんもきびきびと回転して程なく順番が来た。この辺りはとろろ蕎麦が名物だが、とろろは好きではないので天ぷら蕎麦にする。蕎麦に天ぷらが乗っているのではなく、そばの他に一皿天ぷらが数種類盛りつけてある趣向だ。海老やらマイタケやらあるのだが、カボチャかな?と思った天ぷらはどうやら柿のようだった。柿が家を貫いているお店だから、柿にこだわりがあるのかも。美味しかった~。

これですっかり元気百倍。その後、まだまだ混雑していて、さすがに気分が悪くなる人もいるのか、救急車も何台も通る商店街を駅まで歩いて、途中でお土産のお饅頭でも買おうと思っていたが、あまりの混雑にもう行列する気になれず、そのまま帰ってきてしまった。でも、家に着いたら少し小腹が空いてきて、やっぱりお饅頭も買ってくればよかった、天狗煎餅も買ってくればよかった、と最後にちょっと後悔した右往左往の締めくくりとなった。

2008年11月22日土曜日

今日はジャッジII

なんだかNHKばかり見ているようだけれど、やっぱりNHKばかり見ているようだ(苦笑)。

今日はジャッジIIの最終回。NHKの土曜ドラマは結構質が高い。これまでも、ハゲタカ、フルスイング、トップセールス、最初のジャッジ、監査法人、上海タイフーンなど、ちょっと考えるだけでも五本の指では足りないくらいの名前が出てくる。見始めは期待していなくて、見ているうちに面白くなって来週が待ち遠しくなるドラマが多い。そう言えば星空ホスピタルなんかも好きだったなぁ。

そしてジャッジ。最初のジャッジが始まった頃、「島でただ一人の裁判官」という謳い文句で宣伝をしていて、なんだか退屈そうな番組だな~と思ったのだが、これが案外面白いドラマなのだ。

最初のシリーズは主に家族の再生がテーマだった。仕事一途の裁判官が家庭を顧みないで仕事に励んでいるうちに、肝心要の自分の家庭が壊れそうになっていて、ちょうどその頃親友の裁判官が不治の病に倒れ、彼の代わりに家族と一緒に島に赴くという話だった。これはこれでしみじみといい話だった。

大体南の海、島、人々、空気、風、空に南国風の音楽が流れると、もうこれだけで主人公一家ならずとも癒されてしまう。ドラマの内容は置いておいて、奄美大島や徳之島、与論島は「死ぬまでに是非訪ねたい場所」リストに堂々の仲間入りだ。

そして今回のシリーズ。家族は立派に再生している。うらやましいくらいの理想的な家族になっている。今回番組を見ていて特に印象に残るのが裁判官三沢の無言で考え事をしている場面だ。法廷で、執務室で、素晴らしい景色の中で、自宅で。最初は何とも思わず、何となく見過ごしていたが、徐々に裁判官という職業は実はものすごく丁寧に考える仕事なのだと言うことが分かってきた。

先週の話は嫡出子と非嫡出子の間の遺産相続を巡る話が中心だった。裁判官は法廷であっちの話を聞き、こっちの話を聞き、証拠として提出されているものを吟味する。法律は全くの門外漢で何も分からないが、裁判というのは最高裁判所の判例があると、その後の同種の裁判は最高裁の判断に従うものらしい。今回は司法修習生も来ていて、一人は渉外弁護士になるつもりだから、こういう島でのいかにも田舎臭い裁判にはほとんど興味がない。最高裁の判例もあるのだから、もう答えは出ているといわんばかりの態度だ。もう一人の修習生は裁判官になるつもりで、とりあえず勉強しようと言う姿勢はあるので、二人はまったく噛み合わない。相棒が嫌なヤツなので早く島での修習を終えたいということしか考えていないようだ。

だけど、裁判官三沢はじっと考える。途中、他の事件を裁くために余所の島にも出張する。そこでは成人後見人の指名を巡る争いごとが起きているのだが、三沢は誰もが見向きもしていなかった老女に正面から向き合い、一見無駄と思われる話し相手になってあげることで、老女の心の叫びを引き出すことに成功し、結果的に家族が忘れていた思いやりの心を取り戻すことにも成功し、自然争いごとにも決着が付く。

裁判官は決めつけてはいけないのだな~とつくづく思った。遺産相続争いでは、普段自分でもあまり見たいという気にならない家族の写真を三沢は丹念に一枚一枚見ていく。その中に誕生の時の写真があり、それらは故人が嫡出子にも非嫡出子にも同じようにお金を使い、同じように島の風習に則って、我が子の誕生を祝っていることが分かるものだった。三沢はそれらの写真を見つめ、この間まで壊れそうだった、今は強い絆で結ばれているという自信を感じる我が娘と自分のことを思いやる。

そのようによくよく考えて、裁判官三沢は最高裁とは違う判決を下す。子供は嫡出子であれ非嫡出子であれ平等に扱われるべきであるとする判決だ。

そうした三沢と一定期間を過ごすことで、修習生二人の姿勢も微妙に変わってくる。折悪しく不治の病に倒れた親友が亡くなり、島でただ一人の裁判官は親友の葬式に行くこともできないが、修習生二人に、自分と親友が司法修習で初めて知り合い、最初の悪印象から徐々に互いを認め合い、助け合い、なくてはならない存在になったことを言葉少なに語る。ああ、なんて素晴らしい...

刑事物のような派手なドラマではない。裁判官はじっと座っているだけだが、窓の外の真っ青な空と海。通勤時の道沿いの海と山。子どもたちが遊ぶ遠浅の海。こういう中でひたすら考える続ける裁判官の姿は本当にほのぼのとして、しかも頭が下がる真摯さが伝わってきて、毎回見終わるたびに深い感銘を受けている。

実際の裁判官の中にはストーカーがいたりするし、現実はあんな風に素晴らしい人生を送れるものではないかもしれないけれど、今までは困っている人を助ける弁護士と悪をくじく検事の間で、何となく地味な存在だった裁判官が私の中では大きくクローズアップされた。

今日はいよいよ最終回。ジャッジは最初のシリーズがあって、今回がIIだが、三沢は島での任期を今回のシリーズで終えてしまうようだ。IIIに続かないようなのがとても残念だ。

2008年11月15日土曜日

大相撲

小さい頃、夕方のお楽しみはテレビの大相撲中継だった。白黒テレビに向かって「たいほ~!」だの「かしわど~!」だのと叫んでいたものだった。ちなみに節操がないことに、私は交互に大鵬と柏戸のファンになっていた。

その後ずっと、大相撲に興味を失っていて、若貴の時代にもそれは変わらなかったのに、なぜだか去年くらいから時々大相撲中継を見るようになった。朝青龍なんかも結構好きだが、やっぱり正統派で押出もしっかりしている白鵬の魅力の方が一枚上だ。だから、かわいがりだの八百長だの大麻疑惑だのと言われていても、今場所も5時過ぎになると大相撲中継にチャンネルを合わせてしまう。

で、この頃のお楽しみが客席だ。取り組みを見るのももちろん面白いが、ちょっと前の名古屋場所だっただろうか。連日東の花道の脇の同じ席に同じ女の人が座っていることに気が付いた。ちょっと年増で、こんなことを言うのは申し訳ないけれど別に美人でもない。なのに顔を覚えてしまった。なぜ記憶に残ったのかは分からないけれど、この女性、和装なのだが、毎日お召し替えでとても衣装持ち。そのうちに「今日はどんな着物かな~」と楽しみになってきた。

その次の場所では、金色の日の丸模様の帽子をかぶったおじさんが連日向こう正面の同じ席に座って、勝負が白熱すると、同じ模様の扇子を広げて応援しているのが面白かった。

このおじさん、その次の場所にも姿を現していて、いわば追っかけなのかな。でも、枡席で追っかけをするとは相当のお金持ちに違いない。

そして今場所。日の丸おじさんはまたもや最初のうちは姿を現していたが、この2,3日は見掛けなくなっている。九州場所はなぜだか席ががら空きで、力士が気の毒になるほどだが、昨日は眼福ともいうべき光景を見ることができた。正面から見下ろす普通のカメラアングルでは写らないのだが、取り組みが始まって力士と同じ高さから平行に向こう正面を写すアングルだと、なんと少し上の枡席にずらりと黒紋付きの芸者さんが並んで座っているのが写るのだ。

きりっとした黒い着物に沿って真っ白な襟がVの字に見えてとても粋だった。もちろん白塗りにして日本髪である。まるで歌舞伎の総見を見ているような気分になった。よく見ると若い方から少しお年の方までいらっしゃるようだったが、総勢十名くらいいただろうか。誰かお大尽が気前よく芸者さんたちに枡席をおごったのかしらと想像すると、地球全体で金融危機だと騒いでいる不安な状況でも、なんだかとても華やかな気分になった。

この芸者さんたち、残り3番の大関と横綱戦になったとたんに一斉に席を立っていたようだ。いったんすっと立ち上がって長い裾をしゅっと引き寄せるところがちらっと写っていて、その次にその辺りが写ったときにはもう誰もいなかった。

芸者さんたち、毎日来てくれれば寂しい客席も華やぐのに...と思っていたら、今日はなんと満員御礼の札が下がっていた。

2008年11月14日金曜日

NHK京都特集

NHKは11月を京都の月と決めてさまざまな番組で京都を特集している。

その流れですべて再放送のようだったが、火曜から昨日までNHKハイビジョンで京都を取り上げた番組を見た。

火曜は元呉服商だった家の半年の生活を追い、水曜日は老舗料亭の代替わりを取り上げ、昨日は他の番組を見てしまったために後半しか見られなかったが冷泉家の今を描写していてとても興味深かった。

京都ではどの家もああやって暮らしていると思ってはいけないのはもちろんだが、いまだ現役で商売をしている料亭は置いておくとして、元呉服商と冷泉家が数百年前から今に至るまでほぼ昔通りの生活を維持しているところがすごい。すごいなんていうレベルではなくすごい!

冷泉家はもう貴族ではないし、呉服商ももう先代で店を畳んでしまっているので、その広大なお屋敷を維持するだけでも大変なことだと思うが、試行錯誤を経たのだろう。文化財としての優遇措置と保存会のような組織を利用することで、昔ながらの優雅な四季を送っている。と言うか一見優雅に見えるが、こういう生活を守っていくのは並大抵のことではない。番組を見ていて思ったのは、こういう家なら本当に身にしみて四季を感じるだろうなということだ。

とりあえず普通に暮らす場合でも、京都は盆地だから夏暑く冬寒いはずだ。それなのに、料亭だけは客商売だからそれなりに現代の設備を利用していると思うけれど、呉服屋さんと冷泉家の場合は建物が昔のままなわけだし、台所などは天井がものすごく高くて、風がひゅーひゅーと吹き抜けていきそうだ。第一夏の風景を見ていても網戸というものがなく、冬の風景を見ていても障子+廊下+板戸(さすがにガラス戸はあったかな)で外という感じだ。地球温暖化の今、寒いときは一層寒く、暑いときは一段と暑くなってきたような気がして、エコを心がけねばと思いながら、つい空調のスイッチを入れてしまう今日この頃なのに、この家では夏は暑そうだし、虫が入ってきそうだし、冬はしんしんと冷えそうだ。空調もどこかに入れていないはずはないと思うが、その効果も焼け石に水という感じで、見ているだけで身が引き締まってしまう。とはいえ、景色としてみる分にはとてつもなく美しく引き締まった家屋や庭が画面の中に収まっている。

一等地にあっても売ることもできず、建て直すこともせず、蔵に埋もれているあまたのお宝をほぼ独力で守っているのには、本当に頭が下がる。

世界中を探しても、歴史的な建造物は保存されていても、文化風習までその家の住人が守り伝えていこうとしているところなんて、他にはないのではないだろうか(やむを得ず昔のままの生活を送っている場合を除いて)。

連日番組を見ているうちにどんどん京都に行きたくなってきた。

京都に行くと、二条陣屋に行くのが定番だ。二条陣屋に初めて行ったのは、たぶん30年くらい前だと思う。二条城のすぐ近くにあるのだが、大きな道から少し入ったところにあって、おまけに要予約だから、あまり知られていなくて、この家の奥さんだの大奥さんだのと思える人たちが丁寧に集まった予約客に屋内の説明をして案内をしてくれた。屋内にはさまざまな趣向が凝らしてあるほか、防火防犯の施設もあって、どの部屋でもあちこちきょろきょろと見回さずにはいられない。そうして歩いていたら、大奥様とおぼしき方から「ちょっと。畳の縁を踏まないでください」とぴしっと注意された。未熟者は一つお勉強しました。

この二条陣屋もいつだったか見学に行ったときに、重要文化財の指定を受けましたという説明があって、そうなると修理なども費用を気にしないで行うことができるようになるとかで、本当によかったと案内の女性がおっしゃっていた。実際、その頃から案内の人も今までの「どう見ても家人」風の人ではなくなり、アルバイトの学生風の人とか「守る会」的組織の人風の人とか、そう言う人が担当するようになり、それまではおまけ的に見せてくれたところや触らせたり入れたりしてくれたところにも出入り禁止になって、見学も少し窮屈になってしまった。時間もぴったり予定通りという感じで終わるようになったしね。

今回、京都には他にもこういう重要建造物があるということを知り、もしかしたら見学できるかもと思い、まだ予定は全然ないけれど、こういうときに便利なネットでちょっと調べてみたら、元呉服商の杉本家は保存会に入らないと内部見学はできないようだった。保存会にも何ランクかあって、一番お安い会員で会費は年間1万円なのだとか。ま、そうでしょうね~。家屋を維持するだけでなく、日々のお献立や折々の行事もちゃんと踏まえて生活しているのだもの。でもまー、いつ行くか分からない京都の旧家の保存会にすぐ入るほど金持ちではないので、とりあえず今回はテレビで目の保養をさせてもらったと言うことで満足することにした。

2008年11月9日日曜日

NHK朝の連ドラ

毎朝NHKの連ドラを見るのが習慣になって久しい。

今放送中の連ドラは「だんだん」である。8日の放送を見ていたら、色々あった末に双子の片割れがライブで歌を歌い、もう歌わないと決めていたもう一方の片割れが弟からギターを渡されて意を決してギターを受け取り舞台に上がって歌い出すというシーンがあった。

どこかで見たような...と思ったら、2作前の「ちりとてちん」にこんな場面があったのを思い出した。

このドラマは落語家一門の話とその一門に所属する女噺家の実家の話の2本立てなのだが、落語家一門の方は師匠の徒然亭草若が長いこと高座に上がるのを拒否してしまっていて一門の存続が危ぶまれる危機的状況になっている。女噺家はそんなこととは知らず、ちょっとした縁から師匠の家に下宿させてもらうことになり、噺家を目指すことになり、連ドラだからまあ色々あるのだが、朝の連ドラにしては珍しく、久しぶりに素晴らしい作品だったと私の中では絶賛している作品だ。

で、徒然亭の弟子たちは一門としての活動を再開しようと考え、近所の馴染みの食堂に頼み込み、久しぶりに一門の落語会を開こうとする。多くの困難を乗り越えて無事落語会の当日を迎えるのだが、徒然亭の弟子でもあり跡取りでもある小草若が一席披露しているうちに感極まって泣き出してしまい、高座を降りてしまう。突然そうなったのでどう後を続けていいものか一同が戸惑っていると、その脇をすっと通り過ぎていく人影が...。

誰かと思うまもなく、師匠の徒然亭草若が高座に上がり、蕩々と話し始める。

師匠が高座に上がるのはもう何年も絶えてなかったことで、その間に弟子たちは四散し、一門は存亡の危機を迎えていたのだが、この一件をきっかけにして徒然亭は復活する。

実に感動的な場面だった。朝から心底じーーーーーんときた。

その場面と今回の場面が、ギターを受け取ってすっと画面から消える辺りが似通っていたために「ちりとてちん」の名場面を思い出すことになったのだが、できたらもう少し工夫して、思い出させないくらいの違いは出して欲しかった。

ああいう名作とちょっとそこまでは...的作品は、似ていると思うだけでもムッとする。

もちろん「だんだん」だって全くの駄作とは言わないけれど、スカウトは絶賛しているみたいだが素人目にはそこまでには思えない双子のデュエットと徒然亭草若の落語を同列に扱うようなことだけはして欲しくなかった。両方とも制作はNHKの大阪なんだろうし、その辺の気遣いは欲しかったと思った11月初旬であった。

2008年11月8日土曜日

空港へ行く

家の近くで買い物をした帰り道、信号待ちをしていたら、目の前をリムジンバスが通った。

リムジンバス...

これが目の前を通ると無性に乗りたくなる。人によっては仕事で飛行機に乗ることがあるだろうけれど、私の場合はそう言う可能性は皆無なので、これに乗ると、そこから非日常の世界に入るのだ。

昔は自宅近くでこういう気持ちに襲われることはなかった。つまり、昔はリムジンバスがこんなにあちこちでは利用できなかったと言うことだ。

以前は羽田にしろ成田にしろ、空港に行くときは、浜松町に向かって電車を乗り継ぐか、新宿か水天宮に出て、そこからNEXかリムジンバスを利用した。時間帯にもよるが、都心に向かう電車は混んでいることが多いから、荷物は前もってABCみたいな宅配業者に出しておき、空港に着いたところでピックアップして荷物と合流し、その後いよいよ搭乗券を受け取るためのチェックインと言う手順になる。

そう言えばTCATで出国手続きをしたこともあった。あの場合、まだまだ日本の中にいるのにすでに気分は外国だった~♪


そうな風にしていたのはずいぶん前のことだ。懐かしい...

この頃は、住まいの最寄り駅の隣の駅からリムジンバスが運行されているので、大荷物だろうが何だろうが一駅ぐらいなんだ!みたいな勢いでガラガラ~っとトランクを引きずって行くか、これから大枚使って遊ぶんだ!みたいな勢いでタクシーを奮発して荷物ごと隣駅まで移動して空港に向かうことが当たり前になっている。

そう言えば昔は荷物を先にピックアップしてもらっていたから、荷物は出発の数日前までに準備しなければならなかった。今はそうやって自分と一緒に出掛けるようになっているので、出発する直前まで、あれを忘れた、これも持っていきたいといっては、近くのコンビニやドラッグストアに走ったりして、それはもう気忙しいこと。荷物を先に出していると、とりあえず俎上の鯉的気分で、トランクがないんだからもうこれ以上はどうにもなんないもんね~みたいな境地になっていたものだった。

ところで、非日常の世界はリムジンに乗った辺りから始まるから、出発当日は早く非日常の世界に入りたくてたまらない。と言うわけで、ずいぶん早めに空港に出掛けていって、巨大な空港の中で半日くらい遊んで過ごすのも恒例になっている。ここでもう財布の紐は緩んでいて、出発前からもうショッピングバッグを抱えてしまったりする。

旅行はいいね。目的地で楽しく過ごすのももちろんだけれど、一番ワクワクするのは飛行機に乗り込む前の空港で過ごす半日くらいかもしれない。

次にこの経験が楽しめるのは来年の8月...。鬼が笑うくらい先の話で待ち遠しい。

2008年11月4日火曜日

小室哲哉逮捕

今朝、いつも通りテレビをつけてNHKにチャンネルを合わせたら、7時のニュースのトップが小室哲哉が事情聴取を受けるために任意同行を求められているというニュースで、小室哲哉の家の前にいる記者が現場から状況を伝えていた(小室哲哉の家は東京で、本人がいるのは大阪みたいだったが)。まるで民放のワイドショーを見ているみたいだった。

私の音楽シーンは大体1980年代の初めまでに終わってしまっていて、最近は音楽番組を見ていないので小室哲哉がどういう人でどういう音楽を作り出していたのか正確には知らない。しかし、この人の名前は知っている。芸能ニュースや新聞に掲載される週刊誌の宣伝などから得た知識をつなぎ合わせると、大体つながる。

で、小室哲哉というのは私はあまり好きだとは思わない種類の人間だ。

才能に恵まれて時代の寵児になって、そこまでなら「いいな~、あやかりたいな~」くらいの感想で終わりだけれど、その後、誰か女性歌手が失恋して芸能活動に支障を来すくらいに精神状態がめちゃめちゃになっていたような気がするが、その辺から「面白くないヤツ~」的印象になって、その後、その女性歌手が立ち直ろうとしてはまたダメになりみたいなニュースが何度か報じられる間に、このドンファンさんの方は何度か結婚と離婚を繰り返していたのではないかな。それで、印象はさらに地に落ちて「嫌なヤツ~」になってしまった。

大体、金があれば何度でも結婚していいみたいな姿勢が嫌だ。お互いに結婚するけど、嫌だったら別れようねみたいな合意があって、何のトラブルもなく何度も結婚したり離婚したりできれば問題はないんだけれど、そういうわけにはいかないでしょう、男女の仲って言うのは。で、小室哲哉の場合、あくまでも想像だけど、自分は通帳に印刷しきれない桁数の収入があって、どっちかと言えば彼の方が強いわけだから、それでくっついたり離れたりがある場合には、やっぱり弱い方に対して強い方がきちんとして欲しいわけです。でも、傍目には、金があるから好き放題みたいな感じにしか見えなかった。

その何度も立ち直ろうとして立ち直れない女性歌手の場合、どこまで責任を取らなければいけない仲だったのかは分からないけれど、どうもその後の結婚と離婚の履歴をざっと見ると、5億とか10億とかいうお金の単位が、小室哲哉にとっては、一般人の5万とか10万とか言う単位と同じになっていたのではないだろうか。そんなの気軽に支払えちゃうもんね~なんて思って、これだけ払えば別れてくれるよね~、これで新しい彼女と結婚できるよね~、ばんざーい風に思っていたのかもしれないけれど、自分の収入って言うのは、ファンあってこそだという思いがもうなくなっていたのだろう。

順風満帆。自分には途切れることなくお金が入ってくると思いこんでいたのかな。

せっかく夢のような生活を送っていたのに。もう少し地に足をつけて、自分も他の人たちと何ら変わらない、ただちょっと時代の波に乗っただけ、そんな謙虚な気持ちを持ち続けていたら、今まで自分を雲の上の存在として追いかけていたマスコミから護送されるシーンを激写されるようなことにはならなかっただろうに。

2008年10月30日木曜日

見た目

神奈川の県立高校で、服装の乱れや態度を合否に反映させていたというニュースが流れている。校長先生はこの一件が来年の入試に影響することをおそれた教育委員会の配慮で異動が決まったと言うことだ。

でも、これっていけないことだろうか。

少し前に大阪の橋下知事が私立高校の生徒と討論している場面をニュースで見たが、女生徒が「私立にしか行けなかったんだから、私立にも助成金を下さい」的なことを涙ながらに知事に訴えていた。これに対して知事の返事は、確か「そう思うなら、そう言うことは自分が大人になって知事なり政治家なりになってやってください(私はやらない)」と言うもので、義務教育の終わった高校生なら自分の進路に責任を持て、親が経済的に苦しいと思えば、勉強して公立に進学しろ、というような趣旨だったと思う。

大いに賛同する。

今回の入試の合否に反映される要素に見た目が含まれるというのも、義務教育で全員の無試験進学が権利として認められている公立の小中学校ならともかく、任意で進学する高等教育なのだから、たとえ公立であってもそうした要素を入試の判定に加えるのは問題ないと思う。ただ、それを入試の資料に記載しておけば文句なしだったとは思うが。

今の世の中、「規則さえ違反していなければ何をやってもいい」みたいな風潮がまかり通っていて、法律違反ではないけれど、常識としてそう言うことをするのはどうよ!みたいな行動は結構まかり通っている。権利ばかりが主張されて義務はあまり顧みられない。

でも、たとえば腰パンで靴の踵を踏みつぶした茶髪のお兄ちゃんと下着が見えそうなミニスカートにだぼだぼのソックスを刷り下げてぺっちゃんこの鞄を持ったお姉ちゃんがうろうろしている学校ときちんとした身なりで部活帰りの汗を拭いながら家路に急ぐ男子生徒や少しださくてもせめて膝近くまで丈があるスカートをはいて髪の毛を結わえた女子生徒が数人で楽しそうにおしゃべりしている学校だったら、どっちの横を歩くのが怖いですか。

道に迷ったときに、向こうから茶髪でよれよれの学ランを着たお兄ちゃんと学ランのボタンを一番上までぴちっと留めた男の子が歩いてきたら、どっちの子に道を尋ねるだろうか。

私ならこざっぱりした学生が目立つ学校の横の方を安心して通行し、こざっぱりした服装の男の子に道を尋ねる。

校長先生がきちんとした身なりの生徒を優先させたのにも同じ思いがあったのだろうと思う。社会人になって入社試験に行くとき、誰がそう言う格好で出掛けるだろうか。出掛けて合格する人がいるだろうか。高校と言えば、卒業後は進学するものもいれば就職するものもいるだろう。そろそろ世間体を気にかけても損はしない年齢だ。それを入学してから教えればいいと言う意見もあるかもしれないけれど、できれば15までにそう言う常識が少しでも身に付いている生徒を多く入学させる方が学校のためだと先生が思っても、私は別に構わないと思う。義務教育じゃないんだもの。

そう言う私だって、別にきらきらした格好はしていない。お高い服も着ていないし、お高い鞄も持っていないし、お高い化粧品も使っていない。でも、少なくとも小綺麗にはしているし、それはそうしなければいけないからしているのではなく、そうすることが当たり前だと思うから自然にそうなっているに過ぎない。

2008年10月29日水曜日

自転車

小さいとき、自転車に乗ろうとすると親が神経質になった。危ないので普通の道を走ってはダメで、近くの中学校の校庭まで自転車を押していき、校庭で乗り回してまた押して歩いて帰ってきた。そのせいか、バランス感覚が悪いせいなのか、自転車に乗るのは得意ではない。

ただ、環境問題なんかを考えると、買い物なんかに行くのに一人で車に乗るのはどうだろうかという思いがある。メタボなお腹をどうにかするためにも、自転車に乗るのはいいことだという思いもある。

でも、少し前に道交法が変更になって、自転車は自転車通行可の標識のある舗道以外通行禁止になった。例外はあって、確か13歳以下と70歳以上はこの規則が免除されるが、とりあえず該当しない年齢なので自転車に乗ったら車道を走らなければならない。それが怖いので、自転車には乗っていない。

ところが、外を歩いていると、この規則はどこの国の規則?と思うほど、舗道は自転車のためのものになっている。そうやって自転車で堂々と舗道を走っている人のことが私は大嫌いだ。

まず、大昔から自転車で舗道を走行して人を追い越す場合は自転車を降りて押しながら追い越さなければならないことになっていたはずだが、そんなこと、誰もやっていない。

一番ムッとしたのが、音もなくすーっと後ろから抜かされて斜め前を横切られたときだ。駅前の舗道だったので多少は広めの舗道だが、それだけ人もたくさん歩いている賑やかな舗道だ。車道の車の往来も多いせいか、私は後ろから自転車がやってきたことにまったく気付かなかった。そこを後ろからすーっと抜かされてびっくりした。私が無邪気に少し斜めに足を出したらぶつかっていただろう。手を少し振っていたら、やや膨らみ気味の袖口が自転車のハンドルに引っかかって上着は破れていただろう。そう言う危うい距離と行動でその自転車は音もなく私を追い抜いていった。

二番目にムッとしたのは、舗道を歩いていたら正面からおばあさんが歩いてくるのが見えたときのことだ。そのまま歩いていくとおばあさんと正面衝突してしまうので、私は広い舗道を右によけた。そうすればおばあさんはそのままのペースで真っ直ぐ進んでいけると言うわけだが、今度はチリンチリンと背後から自転車のベルが聞こえた。振り返ると、女性が自転車に乗って進んでくるところだった。私が右に針路修正すると自分の前方をふさがれる形になるので、「そこのけそこのけ」という意味を込めてチリンチリン。

こういうのが一番不愉快になる自転車関連のムッとする体験だけれど、何もなくても、後ろからチリンチリンだけで追い越されるのは大っ嫌いな方だ。今回の道交法の改正でこういう思いを味合わなくて済むようになると期待していたが、そんな改正、誰も気にしていないようで、相変わらずチリンチリンされている。そう言うときは、いい年した女性や若者(不思議なことに、我が家の周辺ではいい年した男性は自転車に乗っていない)に、「あなたは13歳以下ですか?」「へ?違う?すると70歳以上なのですか?」「へ?違う?」「じゃ、何で舗道を走っているのですか?」聞きたくてうずうずしている。

2008年10月23日木曜日

NHKを見ていて

毎朝NHKのテレビを見ながら過ごすのが日課となっている。大体6時過ぎから8時半の朝の連ドラが終わるまで、チャンネルはNHKになっている。

今朝のこと。野球のワールドシリーズが始まると言って試合会場から何度も中継していた。

技術が進歩して海外の映像や音声が瞬時に国内で放送できるようになったのは確かに素晴らしいことだけれど、そのために煩わしいこともあるのだな~と実感した。

ワールドシリーズは確かにアメリカ大リーグの一大イベントだし、両方のチームに日本人が一人ずつ混ざっていて、まったく無関心でいられる話題ではないかもしれないけれど、まだ試合が始まる何時間も前から刻々と状況を実況中継するほどの重大イベントだろうか。おまけに、今朝は岩村選手の故郷である愛媛県からの中継もやっていて、出身校の高校野球部の練習風景やかつてのチームメイトのコメントなどが愛媛県から生中継で放送されていた。

そこまでたくさんの時間と人員と手間を割いて、NHKの趣旨としては

「ワールドシリーズ、是非見てね」

と言うことなのだろうか。それ以外にはこの中継の狙いがどうしても思いつかない。でも、NHKは公共放送で、素直な我が家は昔から粛々と視聴料をお支払いしているのだから、一言くらい言っても良いと思うのだけど、時局の一番組の視聴率を上げるためとしか思えない話題というか宣伝を朝のニュース番組であんまりたくさんやらないで欲しい。

岩村は確かに頑張った。渡米一年目でここまでチームに感謝される存在になってえらいと思う。だけど、それとこれとは別だから。ニュース、つまり世界の情勢、国内の情勢、社会事件について知りたくてチャンネルを合わせているので、「みなさまお待ちかねの~」みたいな感じで盛り上げようとしても、私はちょっと盛り上がりませんでした。

2008年10月18日土曜日

戦い済んで

さっきネットのニュースを見ていたら、北京オリンピック銅メダルの水泳選手がタレントになるというニュースがあった。選手の時も芸能プロダクションに所属していたそうなので、元々そう言う気持ちをお持ちの人だったのだろうか。

昔々まだ若くて体力もあって元気いっぱいだった頃。たとえば冬にスキーに行ったり、夏にテニスに行ったりした。スキー場や高原のテニスコートには若い男性もうじゃうじゃいる。その中で上手な人はものすごく格好良く見えたものだ。なのに、ひょんなことから都会に帰ってきてそう言うかっこいい人たちと会うと、都会の雑踏の中ではあまり格好良く見えなかったのは何故なんだろう。

そう言う人たちとメダリストを一緒にしてはいけないけれど、スポーツの世界で活躍した後、後進の指導に当たるとか、テレビで解説者になるとか、その道の関係で活躍を続けるのはいいのだけれど、そこから離れた形でテレビに進出する元スポーツ選手ってあまり格好良く見えない。バラエティ番組中心に出る元選手の中には、場の空気が読めていなくて、一人だけはしゃいでいるみたいな人や、解説者と言っても、今回報道された人はスポーツキャスターになるとかいうことだけれど、そう言う番組で明快に話ができない人も多い。男は黙って…じゃないけれど、今までは黙々と一つの道に邁進してきて、特に口で説明する必要もなく過ごしてきたのに、今度は不特定多数の視聴者にいろいろなトピックについて報道するなんて、まったく正反対の作業になるわけで、上手にできる方が不思議なくらいだ。

少し前にフェンシングで銀メダルを取った太田選手が就職活動中だという報道があった。太田選手もメダリストとしてテレビに出ながら「就職先を探しています」みたいなことを言っていたような記憶がある。実際、いくつものオファーがあったそうだし、結構物怖じしないキャラでしゃべりも面白いので、芸能関係からのオファーもあったそうだが、確か太田選手は芸能関係はすべて断って、自分がこの先もフェンシングを続けていけそうな職場を選ぼうとしているという続報を読んだ。

勝手を言わせてもらうと、スポーツ選手としてはこういう姿勢が好きだ。太田選手、頑張ってください。

2008年10月4日土曜日

女心がムッとするとき

日頃は気負いもせず恬淡としているつもりだが、たま~に人と話していてムッとするときがある。それは微妙に女心を傷付ける発言に出会うときだ。それも、どちらかといえば同性の発言が多いから嫌になってしまう。

昨日は久しぶりにそんな経験をした。

外出するために駅前を歩いていたら赤い羽根の共同募金を見掛けた。行きは男の人たちがやっていたのだが、先を急いでいたのでそのまま改札を入ってしまった。

そんなこともすっかり忘れて帰ってきたら、今度は女の人たちが共同募金活動をしていた。今は時間があるし、一年に一度の善行だ!と思って大枚500円玉を募金箱に投入。

すると、何人か立っているおばさまたちの一人が「お子さまはいらっしゃる?」と聞いた。手にドラエモンのような絵の描かれているバッジを持っている。子供がいるならサービスで差し上げちゃおうという趣向のようだ。

すると、その隣にいた人が何を思ったのか「お孫さんは?」と聞いたのだ。

ムッとした。

えー、えー、私はどうせ白髪が少しありますよ。でも、地毛で染めてなくてこの程度の白髪なら、同年代ではとーっても少ない方だと思うんだけど。それに、お化粧もしないから、老けて見えるかもしれませんよ~だ!

ずっと前のことだが、呉服市をやっていた呉服屋さんにその店のお客さんである友達が行くというのでお付き合いで同行したことがある。買う気は全然なかったが、ずっと友達とべったりというのも疲れるので、ちょっと離れてマイペースで反物を眺めていた。

すると、女の店員が近寄ってきて「どんなものがお好みですか」という。たまたま目を引かれた柄のものがいくつかあったから、「この辺りかな~。でも、こっちは派手かしら」みたいなことを言ったのだと思う。だいぶ前のことなので記憶が定かではないが、その時にその店員は少し離れたところで他の店員と話をしていた友達の方を見ながら「あちらのお若い方にはこういうのもいいのですが~」と言ったのだ。

ムッとした。

その友達と私は3才違いだ。3才の差と言えば、小さい子供なら大きな違いだけれど、大人になったらほとんど差はない…と絶対に思う。現に私と友達は年齢差のことなんか考えずに付き合ってきているので、ここに来て全くの第三者から如実に区別されるようなことを言われて、オーバーに言うと瞬間的な怒りの炎で目の前がくらっとしてしまったくらいだ。

だから、私はとても気を付けることにしている。他人様と話すときには、年齢に関するコメントは御法度だ。ま、年寄りに「お若い」というのはいいかもしれないけれど、その逆は絶対にいけないし、この年齢の人にこの発言は妥当と思われるものもダメだ。たとえば相手が誰かのおばあちゃんだとしても、私のおばあちゃんじゃない限り、相手を「おばあちゃん」などと呼ぶのも止めることにしている。上に書いた2つの例はまったく知らない人から言われた言葉なので、その後その人がちがどうしているか私には関係のないことだけれど、もし知り合いの一人がそういうようなことを言ったら、私は一生忘れないだろう。みなさまも気を付けましょう。

2008年9月16日火曜日

スポーツ選手の強さ

北京でパラリンピックが開催されている。オリンピックでは、中国がメダル獲得でダントツの一位だった。パラリンピックではどうだろうと思ったら、こちらでもやっぱりダントツのようだ。

オリンピックの時から思っていたのだが、今回、日本は旗色が悪かった。もちろん、取れると豪語して出掛けて惨敗したプロ主体のチームもあったけれど、日本の場合、ほとんどの競技がアマチュア選手で占められている。

アマチュアでも国内トップレベルになればさまざまな支援があると想像しているけれど、どうも中国みたいな国とは支援のレベルが違うようだ。

日本では、大体の場合、家族で町を歩いていて、ピアノ教室があったり、柔道教室、野球教室、サッカー教室なんかがあったりして、その前を通りながら、親が何気なく「やってみたい?」なんて聞いてみて、子供が「やってみたい!」と返事したりして、その辺りが入り口となって、最終的には国内トップの選手が生まれているような気がする。

普通はそこそこそスポーツやら音楽やらをやって、飽きてきたり向いていなかったり受験があったりして、小学校の上級学年頃に止めたくなる。実際にほとんどが止めてしまったり、違うものに興味が移ったりする。そんなこんなの中で上手な人、才能のある人が運良く力を付けてくれる組織や指導者に恵まれると、国内トップクラスの実力の持ち主になる。で、オリンピックやパラリンピックにでるわけです。そこまで家族が金銭的にも精神的にも支えている。結構長い年月がかかるはずだ。その間、家族は本人の活躍を心の支えにひたすら辛抱する。

ある程度の実力が発揮されるようになると、本人はオリンピックを目指すようになる。さらに懸命に励むけれど、お金の問題は常について回る。自分も努力し、家族も努力し、場合によっては所属する組織も努力する。そうしていよいよ夢の舞台に出るわけだが、日本人の場合、最近はなかなか勝てない。ハングリー精神に欠けていると言うことも一因かもしれない。その他にはどんな原因が...と考えてみた。

ところが、新聞や雑誌の記事を読むと、中国なんかはそう言う経緯が全然違うらしい。まず、町を歩いていても、そうした教室がないらしい。健常者も障害者も、小さい頃の身体検査で体格の良さや運動神経の良さが認められるとスカウトされて、生活費も国持ちで指定された競技に励むことになるらしい。適性を認めた上での訓練なので効率よく上達するだろうし、それは今回のオリンピックの結果を見ても容易に想像できる。大きな国だから国中からあらゆる種類の人間をかき集めれば、オリンピックで勝てる選手を養成できてしまうらしい。

しかし、それでいいのだろうかと思ってしまう。オリンピックって、今はやたらと派手で豪華な演出があって(特に今回は圧巻だった)、メダル授与式にはとびきりの美女までいて、とにかくものすごいことになっているけれど、一応アマチュアの祭典のはずだ。中国は共産主義と言うくらいだから、最近はちょっと変わってきているけれど、みんなで利益を分け合っているんでしょう? それならアマチュアの祭典にアマチュアの選手が出ているのだろうけれど、最初から自分が選んで、自分がやりたくて、本当にやっているのかな~と思ってしまう。スカウトされたことがきっかけでも、やり始めたら、適性があってどんどんうまくなるし、貧しい家の出身なら生活費がいっさい心配なくなるのでさらに意欲が湧くだろうけれど、でも、どっちかと言えば下手の横好きになるかもしれないけれど、オリンピックは当初の謳い文句通り、自分がやりたいからやり始めた人たちでやって欲しい。国が助成することは程度の差はあれ、どの国もやっているのだけれど、彼の国はちょっとやり方が極端だ。国の規模が大きいから、どんなタイプの選手もすぐに見つかりそうだし、国費も集中的に大規模に使えるみたいだ。しかし、そう言う様子を見ていると、何だか嫌~な気分になってくる。これって、持たない国の人間の僻みかな。

2008年9月12日金曜日

若の鵬のその後

先日若の鵬の「済みません」記者会見を見て「なんて殊勝な...」と好感を抱き、このブログにもそう書いたのに、その後事態は予想外の方向に進んでいる。

つまり、「謝ったのだから協会も許して」という方向だ。何なのそれ。

日本人の感覚としては、たぶん若の鵬があのように平謝りに謝ってその後一定期間殊勝に日本で暮らし(ビザの関係で無理か)、なおかつ相撲への愛着を折に触れて語っていたら、回りから応援する声がわき上がり、相撲協会に訴えることとなって、晴れて復帰...なんてこともあったかもしれない。

でも、日本人の感覚として「謝ったのだから許して」と自分から要求するのは頂けない。回りに誰かアドバイスする人がいるのかな~?と思ってしまう。

露鵬と白露山も同じ。実は外国とは言え大麻をやった過去があったのに、記者会見できっぱりと「やったことありません。見たこともありません」と言い切っていた。実はやったことがあったと告白していた事実が明るみに出た段階で彼らに対してもしかしたら抱いていたかもしれないほんの少しの信じたい気持ちが木っ端みじんに砕かれてしまって、「やっぱりね~」と納得するしかなくなった。

外国人って日本人より権利の主張が強引だと思う。権利と義務というけれど、義務より権利が優先しているような気がする。相撲のような日本古来のスポーツは剣道や柔道なんかもそうだけれど、精神鍛錬も一体なのだから、外国人の意識を反映させようとすると、つまり「何をやっても勝てばいいんだ」式を許してしまうと、本来の姿からかけ離れたものになってしまうと思ったりする。

こうした日本古来の精神鍛錬も兼ね備えた心技体を追求する道としてのスポーツについては、私は「鎖国」してもいいのではないかと思う。柔道も、場合によってはJudoと一線を画して、国際舞台から離れて、本来の道を追求したらどうかと思う。ま、これはこの道を探求していない第三者の無責任な考えで、その道に精進する選手には国際的な舞台で己の技を試してみたいという目的が必要かもしれないのだから、部外者の素人は当事者の気持ちを尊重するが、なんだかな~と思う今日この頃であった。

2008年9月8日月曜日

若の鵬の釈放後記者会見

今日は相撲界にいろいろなことが起きた。

精密検査の結果がクロだったことを受けて、疑惑の2力士が釈明する場が理事会だかで設けられたが、この二人はとうとうしらを切り通したようだ。検出された薬物の濃度が通常の5倍とか10倍とかで、とても副流煙で吸い込んだレベルではないと言うのに、絶対に認めない態度はどうだろうか。それでいて、最初の簡易検査の2,3日前の行動を聞かれると「覚えていない」というのは何なんだろうか。

それで、北の湖理事長はとうとう引責辞任に追い込まれ、二人の力士は解雇された。

その後、若の鵬が釈放されて、記者会見に姿を現した。それを見ていたら、「相撲協会、済みませんでした。北の湖理事長、済みませんでした。○○親方(自分の部屋の親方かな?)、済みませんでした。日本のファンのみなさま、済みませんでした」と、何の言い訳もせず、ひたすら謝っていた。潔くて清々しいと思った。

しらを切り通した2力士も、自分で栽培していた様子はないので、大麻はどこかから買っていたのだろうから、やっていたことを認めると、調達ルートの話になって、売買した事実が判明すれば逮捕されるし、他にも逮捕者が出るだろうから、おいそれとなんでも話すわけには行かないのだろうけれど、それでも、あそこまで徹底的にしらを切り通すのではなく、最初から「済みませんでした」と素直に非を認め、「今後は二度とやりません。自分は相撲が大好きです。絶対にやりませんから、相撲を続けさせてください」と素直に謝っていれば、もう少し違う展開になったのではないか。あそこまでの状況証拠が揃っているのに、最後までしらを切り通した二人の態度は最悪だったし、「親の務めだから」の一点張りだった二人の親方もおかしかった。親は盲目的に信じるだけでなく、信じてやるなら、世間からも信じてもらえるように、納得のいく説明をするべきだった。この節、学校でも保護者会で先生から「子どもは嘘を付きます」といわれることも珍しくないのを親方衆はご存じないのかな。

2008年9月6日土曜日

大相撲の大麻騒動

大相撲では先日ロシア出身の力士が1人逮捕され、その後何の目的があったのか、抜き打ちの薬物検査をしたところ、2人の力士に陽性反応が出た。

その2人の力士が部屋もばらばら、出身地もばらばら、交流もなし、というのであれば、こんな騒ぎにはならなかったと思う。

最初に逮捕されたのがロシア人で、今回の2人もロシア人。しかも兄弟。どうしたって因果関係がスムーズに連想できてしまう。

それなのにご本人たちは「絶対にやっていない」の一点張り。あまりに堂々と主張するせいか、親方も理事長も可愛い弟子の言葉を信じてやりたいという気持ちになっているようだ。

ところが、IOCだかから公認されている国内唯一の検査機関による検査でもクロと出てしまった。これってどういうこと?

それでも1人はさらに記者会見を開いて「絶対にやっていない」。

絶対にやっていないなら、どうしてこういう結果が出るのだろうか。

当人たちの報道されている言い訳を見ると、兄弟揃って歩けないくらい腰が痛かったのだとか。歩けないくらいの腰痛なら回りも当然気付くでしょうから、誰か「それは本当だ」と証言してください。

次に腰痛の痛み止めを薬や注射で日本人の医師から処方されていたという説明もあったので、その痛み止めの薬と注射も公にしてください。一番手っ取り早いのはこれを処方したお医者さん本人が公の場で「これこれの薬を処方し、注射もしました。これが原因で薬物検査にひっかっかった可能性がものすごくあります」と証言してください。「処方された」ということなら、お医者さんがいるはずでしょ? 何で今までそのお医者さんが出てこないのだろうか。同部屋の力士による「本当に歩けないくらいの腰痛だったす」という証言も出てこないのだろうか。検体を専門機関に提出するまでにもものすごく時間がかかっていたようだし、今回の大麻騒動は首を傾げることだらけだ。

マスコミのみなさま、取材、よろしくお願いします。

2008年9月3日水曜日

ハワイのゴミ

しつこくハワイの話が続きます。

この間スーパーでの買い物について書いたけれど、買い物をしていて日本と違うな~と強く思ったのが、卵の色とスイカの形と牛乳の味。

まず卵の色が真っ黄色だ。日本の卵の黄身は橙色に近い黄色だけれど、ハワイの卵はピュアな黄色をしている。何故?

次にスイカ。アメリカンフットボールのように細長い形をしている。日本のスイカは丸いものね。スイカといったら味を説明するのはとても難しいけれど、でも、味は日本のスイカの方が濃くて美味しい気がした。それにスイカにかじりついたときに何というのかな、さくっというかシャリっというか、瑞々しくて甘い食感があるのも日本のスイカだ。ハワイのがまずいというわけではないけれど。

最後に牛乳。日本で売っているサイズより大きいペットボトルを消費する自信がないので、これは1000mlのペットボトルの話。もっと特大サイズのボトルやペットボトルでは事情は違うのかもしれないけれど、牛乳には3種類あって、skim milkと2% reduced fat milkとビタミンDだかなんだかを添加した牛乳がある。ビタミン入りが若干高かったような気がする。最初にスキムミルクを買ったが、これはさらさらで、牛乳を飲んでいる気がしない。それで2% reduced fatの牛乳にしたところ、スキムミルクよりはマシだけれど、やっぱり日本の普通の牛乳が美味しいという家族の結論になった。

ところで、ハワイは数年ぶりだけれど、気温的には温暖化とは無縁で、数年前と何も変わっていないように感じた。つまり、26~27℃といったところで、涼しい風が吹いているせいか、タクシーに乗っても空調が入っていないことの方が多い。部屋の空調もずっと停めたままで何の不自由もなく、快適に過ごせた。それなのにビーチに出ると、日差しがきつく、砂浜は焼けるように暑い。水は冷たいのだが、いったん泳ぎ始めてしまえばとても気持ちがいい。

ハナウマベイなど厳しく環境保護に努めている場所もあるから、この環境を維持するために人間の暮らしもさぞかし…と思うと、これがそうでもない。

たとえば部屋のキッチンにはディスポーザーが設置されている。生ゴミは粉砕して下水道に流してしまう。

ショッピングセンターのフードコートでラーメンを食べた。いくらお汁が美味しくても、全部は飲めないでしょ、普通。で、辺りを見回しても、ゴミ箱は1種類しかない。今時、日本ではマクドナルドでも液体、紙、プラスチックと3種類に分別して客がゴミ処理をしているわけだし、という目線で辺りを見回してもどうもそれらしい分別用ゴミ箱がない。ラーメンカウンターのおじさんに聞いたところ、

全然構わず、全部まとめてゴミ箱へ入れてください。

ということだった。というわけで、相当の罪悪感を感じながら、お汁が半分くらい残っているプラスチック製どんぶりをゴトンとゴミ箱に放り込んだ。後日、同じフードコートでのどが渇いてコーラを飲んだのだけど、これがまたミディアムサイズを頼んでも、日本のラージサイズくらいあるため、全然飲みきれず、普通、ゴミ箱にこの手のコップを捨てると

パサッ

という音がするものだけれど、ハワイでは

ゴトンッ

という音がしてしまう。こんなんでゴミはどう処理しているのかな~と思ってネットでちょっと調べてみたけれど、魔法のゴミ処理場があるわけでもなく、他と変わらないやり方で処理しているようだ。ただ、ゴミが多すぎて環境汚染の問題が生じつつあり(当たり前だと思うけど)、自然が売り物のハワイで環境が破壊されると大変なので、ゴミは米国本土に持ち込んで処理してもらおうとか言う動きがあったとどこかに書いてあった。その後どうなったのか知らないけれど、とりあえず、自分たちでもできることをして、観光客にも同じようにするようにしたほうがいいでしょう。

それにしても、こんなゴミ処理事情でも、気温があまり変わっていないようなのは何故なんだろうか。不思議だ。

2008年9月2日火曜日

首相辞任

福田総理が辞任した。昨晩、NHKを見ていたら9時半から首相が記者会見をする、内容は不明との報道があり、9時頃からお風呂に入りながら、どんな記者会見なんだろうと考えたが、内容が不明で、突然の記者会見となると、どうしても去年の安倍総理の辞任記者会見が思い出されて、今回も辞任するのかな~、それとも拉致被害者でも一挙に帰国するみたいな素晴らしい出来事が起きるのかな~と想像していた。でもやっぱり辞任だったね。

政治にはまったく興味がなく、日本国民として申し訳ないと思う。今回も福田総理がどうすべきだった、とか、自民党はどうすべきだった、とか、民主党はどうだった、とか、何にも思わないけれど、ふと頭に浮かんだのは、2人の総理夫人の笑顔だった。

安倍総理も福田総理も去年の参議員選挙後のねじれ国会で、虚勢を張ったかと思えば苦虫をかみつぶしたような顔をしていたり、ずっとドタバタしていた印象があるけれど、突然(ま、この日あることが妻として想像できないようでは夫は小物だけれど)夫が一国の最高責任者になってしまった奥様2人は、少なくとも公の場にいらっしゃるときは、夫よりも泰然自若となさって、立派に役目を果たしていたように思う。笑顔が素敵で、話しかければ包み込むように受け入れてもらえるような期待さえ抱いてしまうようなそんな雰囲気をお二人とも持ち合わせていたように思えた。

次の政権は長持ちするのだろうか。参院の状況を考えると、「次の人で必ずや…」という福田総理の辞任会見の話も、人が変わるだけで、そんなに簡単にいくか、と一概に信じられないけれど、政治に興味のない私は、次の総理夫人はどんな人なのだろうかと、そんなことを思った。安倍さん、福田さんの奥様たちのように素敵な雰囲気をあたりに漂わせてもらい、このよどんだ政治情勢の中で一種の清涼剤としての役目を果たしてもらいたいな~とそんなことを思った。

2008年9月1日月曜日

スーパーマーケット探検

夏休みにハワイに行って来た。5泊7日でホテルに併設されているコンドミニアムに滞在した。


部屋にチェックインして一休みしたら早速買い出しにGO!


しかし、ハワイは久しぶりなので現地の事情に疎い。事前にワイキキのスーパーをネットで検索したところ、ウォルマートという巨大スーパーがアラモアナショッピングセンターの近くにあるという情報をゲットした。アラモアナは滞在先に比較的近いので


よし、ここに行くぞ!


と安易に決定。ところが、実際に行ってみると、この巨大スーパーは常識的に考えるスーパーとは違っていた。飲み物類、衣類、お菓子の類、文房具など、なんでもあるように見えるのに、一番必要としていた生鮮食品がないのだ。店員さんに確かめたが、やはり扱っていないそうで、そういうものは3階に行けば売っていると教えてくれた。よって素直に3階に移動。


私って単純。


3階には確かに生鮮食品を扱っていそうなSam's Clubとかいうお店があった。しかし、店を出てくる客が押しているカートを覗くと、購入単位が半端な量ではない。肉でもパンでも、なんでも大きな袋に入っている。怖じ気づいていると、入り口に立っていた店員に「会員証は?」と尋ねられた。なんでもそこは会員制のショップなので会員にならなければ買い物はできないのだそうだ。なーんだ。


一瞬途方に暮れるが、そういえば近所にダイエーがあったことを思い出して、道を教えてもらった。簡単。


アラモアナショッピングセンターと反対側に出て右に行って最初の角を左に曲がり、ひたすら真っ直ぐ行くだけ。


と理解した。英語で道を聞く場合、激しく聞き間違えていつまでも目的地に到達しないことがたまにあるが、今回はちゃんと理解できていたみたいで、ドンキホーテと名前を変えていた旧ダイエーに程なく到着。


ほっ。


ダイエーは昔通りだった。品物の置いてある場所まで数年前と同じだったような気がする。懐かしい。


ダイエーには買おうと思っていたものがなんでも揃っていたし、日本のものも豊富だから、買ってはみたけれど失敗だったという不安を感じることなく買い物できる。


今回の滞在では、その数日後にアラモアナショッピングセンターの1階にあるフードランドでも買い物をしたけれど、こちらは純粋なアメリカのスーパーという感じ。


フードランドでは、前回の滞在時に何も考えずにカートを一杯にしてレジに並んで、レジのお姉さんに支払い後に「ここは6品目以下のレジだから、次からは決まりを守ってね」と言われて赤面した覚えがあるので、今回は天井を見上げて「Six items or less」の看板があるかどうか注意していたのに、今回はどのレジにもそうした看板は下がっていなかった。あれ、いいシステムだと思うのに、どういうことかな。

2008年8月31日日曜日

ブログなるもの

何がなにやらさっぱり分からないけれど、とりあえず思ったことや体験したことを書き込む場としてマイブログを作ってみた。さて、どうなることやら。