2008年10月30日木曜日

見た目

神奈川の県立高校で、服装の乱れや態度を合否に反映させていたというニュースが流れている。校長先生はこの一件が来年の入試に影響することをおそれた教育委員会の配慮で異動が決まったと言うことだ。

でも、これっていけないことだろうか。

少し前に大阪の橋下知事が私立高校の生徒と討論している場面をニュースで見たが、女生徒が「私立にしか行けなかったんだから、私立にも助成金を下さい」的なことを涙ながらに知事に訴えていた。これに対して知事の返事は、確か「そう思うなら、そう言うことは自分が大人になって知事なり政治家なりになってやってください(私はやらない)」と言うもので、義務教育の終わった高校生なら自分の進路に責任を持て、親が経済的に苦しいと思えば、勉強して公立に進学しろ、というような趣旨だったと思う。

大いに賛同する。

今回の入試の合否に反映される要素に見た目が含まれるというのも、義務教育で全員の無試験進学が権利として認められている公立の小中学校ならともかく、任意で進学する高等教育なのだから、たとえ公立であってもそうした要素を入試の判定に加えるのは問題ないと思う。ただ、それを入試の資料に記載しておけば文句なしだったとは思うが。

今の世の中、「規則さえ違反していなければ何をやってもいい」みたいな風潮がまかり通っていて、法律違反ではないけれど、常識としてそう言うことをするのはどうよ!みたいな行動は結構まかり通っている。権利ばかりが主張されて義務はあまり顧みられない。

でも、たとえば腰パンで靴の踵を踏みつぶした茶髪のお兄ちゃんと下着が見えそうなミニスカートにだぼだぼのソックスを刷り下げてぺっちゃんこの鞄を持ったお姉ちゃんがうろうろしている学校ときちんとした身なりで部活帰りの汗を拭いながら家路に急ぐ男子生徒や少しださくてもせめて膝近くまで丈があるスカートをはいて髪の毛を結わえた女子生徒が数人で楽しそうにおしゃべりしている学校だったら、どっちの横を歩くのが怖いですか。

道に迷ったときに、向こうから茶髪でよれよれの学ランを着たお兄ちゃんと学ランのボタンを一番上までぴちっと留めた男の子が歩いてきたら、どっちの子に道を尋ねるだろうか。

私ならこざっぱりした学生が目立つ学校の横の方を安心して通行し、こざっぱりした服装の男の子に道を尋ねる。

校長先生がきちんとした身なりの生徒を優先させたのにも同じ思いがあったのだろうと思う。社会人になって入社試験に行くとき、誰がそう言う格好で出掛けるだろうか。出掛けて合格する人がいるだろうか。高校と言えば、卒業後は進学するものもいれば就職するものもいるだろう。そろそろ世間体を気にかけても損はしない年齢だ。それを入学してから教えればいいと言う意見もあるかもしれないけれど、できれば15までにそう言う常識が少しでも身に付いている生徒を多く入学させる方が学校のためだと先生が思っても、私は別に構わないと思う。義務教育じゃないんだもの。

そう言う私だって、別にきらきらした格好はしていない。お高い服も着ていないし、お高い鞄も持っていないし、お高い化粧品も使っていない。でも、少なくとも小綺麗にはしているし、それはそうしなければいけないからしているのではなく、そうすることが当たり前だと思うから自然にそうなっているに過ぎない。

2008年10月29日水曜日

自転車

小さいとき、自転車に乗ろうとすると親が神経質になった。危ないので普通の道を走ってはダメで、近くの中学校の校庭まで自転車を押していき、校庭で乗り回してまた押して歩いて帰ってきた。そのせいか、バランス感覚が悪いせいなのか、自転車に乗るのは得意ではない。

ただ、環境問題なんかを考えると、買い物なんかに行くのに一人で車に乗るのはどうだろうかという思いがある。メタボなお腹をどうにかするためにも、自転車に乗るのはいいことだという思いもある。

でも、少し前に道交法が変更になって、自転車は自転車通行可の標識のある舗道以外通行禁止になった。例外はあって、確か13歳以下と70歳以上はこの規則が免除されるが、とりあえず該当しない年齢なので自転車に乗ったら車道を走らなければならない。それが怖いので、自転車には乗っていない。

ところが、外を歩いていると、この規則はどこの国の規則?と思うほど、舗道は自転車のためのものになっている。そうやって自転車で堂々と舗道を走っている人のことが私は大嫌いだ。

まず、大昔から自転車で舗道を走行して人を追い越す場合は自転車を降りて押しながら追い越さなければならないことになっていたはずだが、そんなこと、誰もやっていない。

一番ムッとしたのが、音もなくすーっと後ろから抜かされて斜め前を横切られたときだ。駅前の舗道だったので多少は広めの舗道だが、それだけ人もたくさん歩いている賑やかな舗道だ。車道の車の往来も多いせいか、私は後ろから自転車がやってきたことにまったく気付かなかった。そこを後ろからすーっと抜かされてびっくりした。私が無邪気に少し斜めに足を出したらぶつかっていただろう。手を少し振っていたら、やや膨らみ気味の袖口が自転車のハンドルに引っかかって上着は破れていただろう。そう言う危うい距離と行動でその自転車は音もなく私を追い抜いていった。

二番目にムッとしたのは、舗道を歩いていたら正面からおばあさんが歩いてくるのが見えたときのことだ。そのまま歩いていくとおばあさんと正面衝突してしまうので、私は広い舗道を右によけた。そうすればおばあさんはそのままのペースで真っ直ぐ進んでいけると言うわけだが、今度はチリンチリンと背後から自転車のベルが聞こえた。振り返ると、女性が自転車に乗って進んでくるところだった。私が右に針路修正すると自分の前方をふさがれる形になるので、「そこのけそこのけ」という意味を込めてチリンチリン。

こういうのが一番不愉快になる自転車関連のムッとする体験だけれど、何もなくても、後ろからチリンチリンだけで追い越されるのは大っ嫌いな方だ。今回の道交法の改正でこういう思いを味合わなくて済むようになると期待していたが、そんな改正、誰も気にしていないようで、相変わらずチリンチリンされている。そう言うときは、いい年した女性や若者(不思議なことに、我が家の周辺ではいい年した男性は自転車に乗っていない)に、「あなたは13歳以下ですか?」「へ?違う?すると70歳以上なのですか?」「へ?違う?」「じゃ、何で舗道を走っているのですか?」聞きたくてうずうずしている。

2008年10月23日木曜日

NHKを見ていて

毎朝NHKのテレビを見ながら過ごすのが日課となっている。大体6時過ぎから8時半の朝の連ドラが終わるまで、チャンネルはNHKになっている。

今朝のこと。野球のワールドシリーズが始まると言って試合会場から何度も中継していた。

技術が進歩して海外の映像や音声が瞬時に国内で放送できるようになったのは確かに素晴らしいことだけれど、そのために煩わしいこともあるのだな~と実感した。

ワールドシリーズは確かにアメリカ大リーグの一大イベントだし、両方のチームに日本人が一人ずつ混ざっていて、まったく無関心でいられる話題ではないかもしれないけれど、まだ試合が始まる何時間も前から刻々と状況を実況中継するほどの重大イベントだろうか。おまけに、今朝は岩村選手の故郷である愛媛県からの中継もやっていて、出身校の高校野球部の練習風景やかつてのチームメイトのコメントなどが愛媛県から生中継で放送されていた。

そこまでたくさんの時間と人員と手間を割いて、NHKの趣旨としては

「ワールドシリーズ、是非見てね」

と言うことなのだろうか。それ以外にはこの中継の狙いがどうしても思いつかない。でも、NHKは公共放送で、素直な我が家は昔から粛々と視聴料をお支払いしているのだから、一言くらい言っても良いと思うのだけど、時局の一番組の視聴率を上げるためとしか思えない話題というか宣伝を朝のニュース番組であんまりたくさんやらないで欲しい。

岩村は確かに頑張った。渡米一年目でここまでチームに感謝される存在になってえらいと思う。だけど、それとこれとは別だから。ニュース、つまり世界の情勢、国内の情勢、社会事件について知りたくてチャンネルを合わせているので、「みなさまお待ちかねの~」みたいな感じで盛り上げようとしても、私はちょっと盛り上がりませんでした。

2008年10月18日土曜日

戦い済んで

さっきネットのニュースを見ていたら、北京オリンピック銅メダルの水泳選手がタレントになるというニュースがあった。選手の時も芸能プロダクションに所属していたそうなので、元々そう言う気持ちをお持ちの人だったのだろうか。

昔々まだ若くて体力もあって元気いっぱいだった頃。たとえば冬にスキーに行ったり、夏にテニスに行ったりした。スキー場や高原のテニスコートには若い男性もうじゃうじゃいる。その中で上手な人はものすごく格好良く見えたものだ。なのに、ひょんなことから都会に帰ってきてそう言うかっこいい人たちと会うと、都会の雑踏の中ではあまり格好良く見えなかったのは何故なんだろう。

そう言う人たちとメダリストを一緒にしてはいけないけれど、スポーツの世界で活躍した後、後進の指導に当たるとか、テレビで解説者になるとか、その道の関係で活躍を続けるのはいいのだけれど、そこから離れた形でテレビに進出する元スポーツ選手ってあまり格好良く見えない。バラエティ番組中心に出る元選手の中には、場の空気が読めていなくて、一人だけはしゃいでいるみたいな人や、解説者と言っても、今回報道された人はスポーツキャスターになるとかいうことだけれど、そう言う番組で明快に話ができない人も多い。男は黙って…じゃないけれど、今までは黙々と一つの道に邁進してきて、特に口で説明する必要もなく過ごしてきたのに、今度は不特定多数の視聴者にいろいろなトピックについて報道するなんて、まったく正反対の作業になるわけで、上手にできる方が不思議なくらいだ。

少し前にフェンシングで銀メダルを取った太田選手が就職活動中だという報道があった。太田選手もメダリストとしてテレビに出ながら「就職先を探しています」みたいなことを言っていたような記憶がある。実際、いくつものオファーがあったそうだし、結構物怖じしないキャラでしゃべりも面白いので、芸能関係からのオファーもあったそうだが、確か太田選手は芸能関係はすべて断って、自分がこの先もフェンシングを続けていけそうな職場を選ぼうとしているという続報を読んだ。

勝手を言わせてもらうと、スポーツ選手としてはこういう姿勢が好きだ。太田選手、頑張ってください。

2008年10月4日土曜日

女心がムッとするとき

日頃は気負いもせず恬淡としているつもりだが、たま~に人と話していてムッとするときがある。それは微妙に女心を傷付ける発言に出会うときだ。それも、どちらかといえば同性の発言が多いから嫌になってしまう。

昨日は久しぶりにそんな経験をした。

外出するために駅前を歩いていたら赤い羽根の共同募金を見掛けた。行きは男の人たちがやっていたのだが、先を急いでいたのでそのまま改札を入ってしまった。

そんなこともすっかり忘れて帰ってきたら、今度は女の人たちが共同募金活動をしていた。今は時間があるし、一年に一度の善行だ!と思って大枚500円玉を募金箱に投入。

すると、何人か立っているおばさまたちの一人が「お子さまはいらっしゃる?」と聞いた。手にドラエモンのような絵の描かれているバッジを持っている。子供がいるならサービスで差し上げちゃおうという趣向のようだ。

すると、その隣にいた人が何を思ったのか「お孫さんは?」と聞いたのだ。

ムッとした。

えー、えー、私はどうせ白髪が少しありますよ。でも、地毛で染めてなくてこの程度の白髪なら、同年代ではとーっても少ない方だと思うんだけど。それに、お化粧もしないから、老けて見えるかもしれませんよ~だ!

ずっと前のことだが、呉服市をやっていた呉服屋さんにその店のお客さんである友達が行くというのでお付き合いで同行したことがある。買う気は全然なかったが、ずっと友達とべったりというのも疲れるので、ちょっと離れてマイペースで反物を眺めていた。

すると、女の店員が近寄ってきて「どんなものがお好みですか」という。たまたま目を引かれた柄のものがいくつかあったから、「この辺りかな~。でも、こっちは派手かしら」みたいなことを言ったのだと思う。だいぶ前のことなので記憶が定かではないが、その時にその店員は少し離れたところで他の店員と話をしていた友達の方を見ながら「あちらのお若い方にはこういうのもいいのですが~」と言ったのだ。

ムッとした。

その友達と私は3才違いだ。3才の差と言えば、小さい子供なら大きな違いだけれど、大人になったらほとんど差はない…と絶対に思う。現に私と友達は年齢差のことなんか考えずに付き合ってきているので、ここに来て全くの第三者から如実に区別されるようなことを言われて、オーバーに言うと瞬間的な怒りの炎で目の前がくらっとしてしまったくらいだ。

だから、私はとても気を付けることにしている。他人様と話すときには、年齢に関するコメントは御法度だ。ま、年寄りに「お若い」というのはいいかもしれないけれど、その逆は絶対にいけないし、この年齢の人にこの発言は妥当と思われるものもダメだ。たとえば相手が誰かのおばあちゃんだとしても、私のおばあちゃんじゃない限り、相手を「おばあちゃん」などと呼ぶのも止めることにしている。上に書いた2つの例はまったく知らない人から言われた言葉なので、その後その人がちがどうしているか私には関係のないことだけれど、もし知り合いの一人がそういうようなことを言ったら、私は一生忘れないだろう。みなさまも気を付けましょう。