2008年11月25日火曜日

高尾山で右往左往

毎年この時期になると高尾山に出掛けるのが恒例になっている。

今年はすでに11月の初めに出掛けたのだが、新たな高尾山未体験者が是非行きたいというので、急遽紅葉狩りに出掛けてみた。

高尾山に出掛けるようになったのは4,5年前のことだが、その頃はしんみりと紅葉狩りをして、ゆったりとおそばなんかをいただき、お土産屋さんを覗いて回って気が向けば買い物をすると言うことができた。

ところが、去年の勤労感謝の日に大した心づもりもなく出掛けたところ、すでに八王子の駅当たりから嫌な予感がしてきて、高尾で京王線に乗り換える頃には予感も何も、どう見ても全員高尾山に行くつもりだろうみたいな混雑になってきて、高尾山口駅に着いたときには駅構内トイレの行列、改札を出る行列、待ち合わせの団体が三つどもえになって大騒ぎだったし、ケーブルカーに乗るまでにどれくらい待っただろうかという混みようで、すべてがごてごてに回って、美味しいお昼をいただくどころではなく、帰りのケーブルカーに乗るのに2時間待ちになったことで、仕方なくケーブル高尾山駅の横にある食堂で食券を買っておそばを食べる羽目になった(これはこれで美味しかったけど)。高尾山口の駅を降りてからあちこちのお店から漂ってくるかぐわしいお団子やおそばやお焼きの匂いはすべて絵に描いた餅に終わった。

何故こうなったのかというと、なんでも高尾山は去年のミシュランで観光地の三ツ星に選ばれたのだとか。恐るべし、ミシュラン。

と言うわけで、今年は初心者を案内することでもあり、万事早め早めの展開で行こうと思ったにもかかわらず、出発からして少し遅れたため、やっぱり八王子当たりから去年と同じ状態になり、後はすべてデジャブ。

変なところでトイレに行きたくなって環境に余計な負荷をかけたくないと言う思いから、高尾の駅でトイレに行こうと思ったが、すでに駅のトイレは長蛇の列。念のために行っておこうと思っただけなので、とりあえずトイレはあきらめて、早くケーブルカーの清滝駅に行かねば!と言う気持ちで一杯になる。

しかし、高尾山口の駅も押すな押すなの人だかりで、何とか改札口に近付けた!と思ったら、そこは切符を持っている人の改札口で、SuicaやPasmoの改札口は長蛇の列。そこからケーブルカーの清滝駅までは、ただもうひたすら粛々と人の波に乗って進むだけだった。

清滝駅も案の定長蛇の列。整理の駅員さんに聞いたら1時間待ちとのこと。今回は初めて山頂まで行こうかという話になっていたので、せめてここだけはケーブルカーで登りたかったが、1時間待っている間に歩いていけば高尾山駅に着いてしまうので、やむを得ず、もっとも初心者向きの1号路から徒歩で登ることにする。とほほ。

ほとんどの人が清滝駅で行列を作っているはずだと思ったのは間違いだった。1号路も結構な人出で、下手をすると他の人とぶつかったり、ぶつかりそうになったりして、うっかり急な進路変更なんかは危なくてできないくらいだ。1号路は多少急坂ではあるけれど、舗装路だし、道幅もそれなりにあるので、ひいはあしてきたら路肩に逸れて、それほど見晴らしはよくないけれど一休みすることができる。そうやって休み休み登っていくうちにさすがに暑くなってきた。寒いと思ったのでたくさん着込んできたのだが、徒歩で行く場合はそこまで着込む必要はなかったかも。

大勢の人々と抜いたり抜かれたりしながら次第に高度を上げていき、眼下に圏央道を眺めたりしながら何とか高尾山駅に到着。見晴らしのよい休憩スペースがあるのだが、当然満員。のどが渇いたのでお茶を買ってのどを潤す。歩いてくるなら最初から用意しておけばよかった。

一息ついたのでまた気を取り直して出発。この先は薬王院まで比較的平坦な道のりだが、浄心門のところで意を決して4号路へ逸れる。

ここまで歩いてきたから薬王院にお参りに行ってそのまま帰ってきてもいいところだけれど、せっかく元気な初心者を案内してきたのだから、未知のルートを初体験してみることにする。

この辺りですでに高度は450メートルを超えていたようだが、4号路はいったん下りになるのでせっかく登った分の労力が台無しだ。勿体ない。下りだからいったん休憩モードになれるのだが、道は1号路に比べてぐっと狭くなり、おまけに後続の人たちがいて、前からは山頂から降りてくる人たちがひっきりなしにいるので結構怖い。何しろ柵もなく、道が狭くて、谷側は切り立っているので、立ち止まって景色を眺める余裕もあまりないが、見ると眩暈がしそうだったので、谷側には下りの人たちに歩いてもらうように山側にへばりついて歩いてしまった。でも、時々見上げると谷の一部に日が当たっていて、紅葉がとても綺麗だった。

しばらく行くと吊り橋があった。ネットで調べたときは音声付きでさらさらと流れる小川のせせらぎが聞こえたのだが、なぜだかこの日、川は枯れていて、吊り橋を大勢の人が渡るどたどたという音ばかりが響いていた。おまけに吊り橋だからえらく揺れる。別に断崖絶壁ではなかったけれど、渡っている最中に橋の強度が寿命を迎えたらどうしようかと思ってしまった。が、そんなこともなく、無事反対側にたどり着き、その辺りからだんだん上りになって、もうこうなると休憩ばかり。狭い道だから腰掛けるところもなくて、人の邪魔にならないようにただ端っこによけて息が戻るのを待つくらいしかできない。

もうすぐかな、もうすぐかな、と何度も地図を見ながら進むと、道が二手に分かれた。片方は下りに、もう片方は急な上りになっている。下りの方が4号路で、上りはいろはの森コースと言うものらしい。本来は4号路を行く計画だったが、この辺りになると、せっかく登ったものを下るのが勿体ないと思う心境になっていたので、4号路を離れていろはの森コースを登る。結構大変。ひいはあ。何度も休憩。

そうやってあの上の広場らしきものが頂上か!と何度か期待するうちに、他の道との合流地点に出た。1号路との合流点だった。合流したので人が増える。綺麗な紅葉がそこかしこで目に入るのだが、景色を楽しむどころではなくなる。人の流れに沿って進んでいくと、またもや他の道が合流してきた。4号路だ。人はさらに増え、その先に仮設の女子トイレが出現。当然長蛇の列。そこを過ぎて最後の坂道を上ると平坦な広場に出てそこが頂上のようだった。大勢の人がお弁当を広げているため、富士山だとか、遠くを見晴らす景色を見ようにも、大勢の人たちがそこかしこに陣取っているので、広場の真ん中からきょろきょろと四方を見回すしかなかった。

見回しているとアイスクリームの旗が目に入った。隣がおでんでこちらには長蛇の列ができていたが、上り詰めで汗ばんでいると、おでんよりアイスクリームという気分になる。幸い誰も並んでいないし。と言うわけでソフトクリームを作ってもらう。美味しかった! 昔、京都の醍醐山で山頂まで登った人たちがそこのわき水を飲んでその感想から「醍醐味!」と言う言葉が生まれたと聞いた覚えがあるが、本当に美味しかった。

しかし、弁当も持たず、長蛇の列に並ぶ気もない場合は、他にすることがないので、なるべくごちゃーっとした人混みが写らないように気を遣いながら紅葉だの遠くの山の稜線だのをカメラで写して、帰りは1号路で薬王院へ。

薬王院に近付くと、すごかったですね~。山頂に向かう群と下る群がそれぞれ左側通行で道をぎっしりと埋め尽くしているのだ。後はもう流れに沿ってゆっくり進むしかないという混雑ぶり。まるでお盆の時期の高速道路のようだった。

止まったり進んだりしながら薬王院にたどり着き、薬王院を出ると、その先は道が少し広くなるせいか、人混みがばらけてゆったりマイペースで歩けるようになった。このころ疲労がピークに。どうなることかと思ったが、とりあえずケーブルカーの駅まで行って下りの切符を確保しなければならない。去年は切符の他に整理券まで出していたのだから、もしそうなっているようなら、早く整理券をゲットして、待ち時間に応じてこの付近でお昼ご飯を食べようと思ったら、まだ整理券を出すところまで入ってなくて、でも行列はできていて、待ち時間30分とのこと。30分なら並んでしまって、清滝駅付近でお昼にすることにした。

列はなかなか進まない…ように思えたが、そんなことはなくて、大体30分ほどで改札口が目の前に見えてきて、その頃、行列の最後尾は待ち時間が1時間と言っていたので、並んで正解だった。2時少し前にケーブルカーに乗って行きは1時間近く歩いたところを5分で清滝駅に到着。

駅周辺の商店街はどこも混雑。午後2時だというのにケーブルカーもまだ長蛇の列。と言うわけでお昼を食べるのにも行列を覚悟して、柿の木が家の中を貫いているお蕎麦屋さんに入る。屋内の柿の木の横に名前を書き込むノートが置いてあって順番が来るまであと1ページ半と言うところだった。幸い待合いの椅子が空いたので座る。ふと思い立ってトイレにも行く。数人並んでいたけれど、駅や道中の公衆トイレほどの混雑はなく、程なく清潔なトイレで用を足すことができて、これは大正解だった。

座って待っているうちに疲れもすっかり取れて、またこのお蕎麦屋さんは結構大きな蕎麦屋なのでお客さんもきびきびと回転して程なく順番が来た。この辺りはとろろ蕎麦が名物だが、とろろは好きではないので天ぷら蕎麦にする。蕎麦に天ぷらが乗っているのではなく、そばの他に一皿天ぷらが数種類盛りつけてある趣向だ。海老やらマイタケやらあるのだが、カボチャかな?と思った天ぷらはどうやら柿のようだった。柿が家を貫いているお店だから、柿にこだわりがあるのかも。美味しかった~。

これですっかり元気百倍。その後、まだまだ混雑していて、さすがに気分が悪くなる人もいるのか、救急車も何台も通る商店街を駅まで歩いて、途中でお土産のお饅頭でも買おうと思っていたが、あまりの混雑にもう行列する気になれず、そのまま帰ってきてしまった。でも、家に着いたら少し小腹が空いてきて、やっぱりお饅頭も買ってくればよかった、天狗煎餅も買ってくればよかった、と最後にちょっと後悔した右往左往の締めくくりとなった。

2008年11月22日土曜日

今日はジャッジII

なんだかNHKばかり見ているようだけれど、やっぱりNHKばかり見ているようだ(苦笑)。

今日はジャッジIIの最終回。NHKの土曜ドラマは結構質が高い。これまでも、ハゲタカ、フルスイング、トップセールス、最初のジャッジ、監査法人、上海タイフーンなど、ちょっと考えるだけでも五本の指では足りないくらいの名前が出てくる。見始めは期待していなくて、見ているうちに面白くなって来週が待ち遠しくなるドラマが多い。そう言えば星空ホスピタルなんかも好きだったなぁ。

そしてジャッジ。最初のジャッジが始まった頃、「島でただ一人の裁判官」という謳い文句で宣伝をしていて、なんだか退屈そうな番組だな~と思ったのだが、これが案外面白いドラマなのだ。

最初のシリーズは主に家族の再生がテーマだった。仕事一途の裁判官が家庭を顧みないで仕事に励んでいるうちに、肝心要の自分の家庭が壊れそうになっていて、ちょうどその頃親友の裁判官が不治の病に倒れ、彼の代わりに家族と一緒に島に赴くという話だった。これはこれでしみじみといい話だった。

大体南の海、島、人々、空気、風、空に南国風の音楽が流れると、もうこれだけで主人公一家ならずとも癒されてしまう。ドラマの内容は置いておいて、奄美大島や徳之島、与論島は「死ぬまでに是非訪ねたい場所」リストに堂々の仲間入りだ。

そして今回のシリーズ。家族は立派に再生している。うらやましいくらいの理想的な家族になっている。今回番組を見ていて特に印象に残るのが裁判官三沢の無言で考え事をしている場面だ。法廷で、執務室で、素晴らしい景色の中で、自宅で。最初は何とも思わず、何となく見過ごしていたが、徐々に裁判官という職業は実はものすごく丁寧に考える仕事なのだと言うことが分かってきた。

先週の話は嫡出子と非嫡出子の間の遺産相続を巡る話が中心だった。裁判官は法廷であっちの話を聞き、こっちの話を聞き、証拠として提出されているものを吟味する。法律は全くの門外漢で何も分からないが、裁判というのは最高裁判所の判例があると、その後の同種の裁判は最高裁の判断に従うものらしい。今回は司法修習生も来ていて、一人は渉外弁護士になるつもりだから、こういう島でのいかにも田舎臭い裁判にはほとんど興味がない。最高裁の判例もあるのだから、もう答えは出ているといわんばかりの態度だ。もう一人の修習生は裁判官になるつもりで、とりあえず勉強しようと言う姿勢はあるので、二人はまったく噛み合わない。相棒が嫌なヤツなので早く島での修習を終えたいということしか考えていないようだ。

だけど、裁判官三沢はじっと考える。途中、他の事件を裁くために余所の島にも出張する。そこでは成人後見人の指名を巡る争いごとが起きているのだが、三沢は誰もが見向きもしていなかった老女に正面から向き合い、一見無駄と思われる話し相手になってあげることで、老女の心の叫びを引き出すことに成功し、結果的に家族が忘れていた思いやりの心を取り戻すことにも成功し、自然争いごとにも決着が付く。

裁判官は決めつけてはいけないのだな~とつくづく思った。遺産相続争いでは、普段自分でもあまり見たいという気にならない家族の写真を三沢は丹念に一枚一枚見ていく。その中に誕生の時の写真があり、それらは故人が嫡出子にも非嫡出子にも同じようにお金を使い、同じように島の風習に則って、我が子の誕生を祝っていることが分かるものだった。三沢はそれらの写真を見つめ、この間まで壊れそうだった、今は強い絆で結ばれているという自信を感じる我が娘と自分のことを思いやる。

そのようによくよく考えて、裁判官三沢は最高裁とは違う判決を下す。子供は嫡出子であれ非嫡出子であれ平等に扱われるべきであるとする判決だ。

そうした三沢と一定期間を過ごすことで、修習生二人の姿勢も微妙に変わってくる。折悪しく不治の病に倒れた親友が亡くなり、島でただ一人の裁判官は親友の葬式に行くこともできないが、修習生二人に、自分と親友が司法修習で初めて知り合い、最初の悪印象から徐々に互いを認め合い、助け合い、なくてはならない存在になったことを言葉少なに語る。ああ、なんて素晴らしい...

刑事物のような派手なドラマではない。裁判官はじっと座っているだけだが、窓の外の真っ青な空と海。通勤時の道沿いの海と山。子どもたちが遊ぶ遠浅の海。こういう中でひたすら考える続ける裁判官の姿は本当にほのぼのとして、しかも頭が下がる真摯さが伝わってきて、毎回見終わるたびに深い感銘を受けている。

実際の裁判官の中にはストーカーがいたりするし、現実はあんな風に素晴らしい人生を送れるものではないかもしれないけれど、今までは困っている人を助ける弁護士と悪をくじく検事の間で、何となく地味な存在だった裁判官が私の中では大きくクローズアップされた。

今日はいよいよ最終回。ジャッジは最初のシリーズがあって、今回がIIだが、三沢は島での任期を今回のシリーズで終えてしまうようだ。IIIに続かないようなのがとても残念だ。

2008年11月15日土曜日

大相撲

小さい頃、夕方のお楽しみはテレビの大相撲中継だった。白黒テレビに向かって「たいほ~!」だの「かしわど~!」だのと叫んでいたものだった。ちなみに節操がないことに、私は交互に大鵬と柏戸のファンになっていた。

その後ずっと、大相撲に興味を失っていて、若貴の時代にもそれは変わらなかったのに、なぜだか去年くらいから時々大相撲中継を見るようになった。朝青龍なんかも結構好きだが、やっぱり正統派で押出もしっかりしている白鵬の魅力の方が一枚上だ。だから、かわいがりだの八百長だの大麻疑惑だのと言われていても、今場所も5時過ぎになると大相撲中継にチャンネルを合わせてしまう。

で、この頃のお楽しみが客席だ。取り組みを見るのももちろん面白いが、ちょっと前の名古屋場所だっただろうか。連日東の花道の脇の同じ席に同じ女の人が座っていることに気が付いた。ちょっと年増で、こんなことを言うのは申し訳ないけれど別に美人でもない。なのに顔を覚えてしまった。なぜ記憶に残ったのかは分からないけれど、この女性、和装なのだが、毎日お召し替えでとても衣装持ち。そのうちに「今日はどんな着物かな~」と楽しみになってきた。

その次の場所では、金色の日の丸模様の帽子をかぶったおじさんが連日向こう正面の同じ席に座って、勝負が白熱すると、同じ模様の扇子を広げて応援しているのが面白かった。

このおじさん、その次の場所にも姿を現していて、いわば追っかけなのかな。でも、枡席で追っかけをするとは相当のお金持ちに違いない。

そして今場所。日の丸おじさんはまたもや最初のうちは姿を現していたが、この2,3日は見掛けなくなっている。九州場所はなぜだか席ががら空きで、力士が気の毒になるほどだが、昨日は眼福ともいうべき光景を見ることができた。正面から見下ろす普通のカメラアングルでは写らないのだが、取り組みが始まって力士と同じ高さから平行に向こう正面を写すアングルだと、なんと少し上の枡席にずらりと黒紋付きの芸者さんが並んで座っているのが写るのだ。

きりっとした黒い着物に沿って真っ白な襟がVの字に見えてとても粋だった。もちろん白塗りにして日本髪である。まるで歌舞伎の総見を見ているような気分になった。よく見ると若い方から少しお年の方までいらっしゃるようだったが、総勢十名くらいいただろうか。誰かお大尽が気前よく芸者さんたちに枡席をおごったのかしらと想像すると、地球全体で金融危機だと騒いでいる不安な状況でも、なんだかとても華やかな気分になった。

この芸者さんたち、残り3番の大関と横綱戦になったとたんに一斉に席を立っていたようだ。いったんすっと立ち上がって長い裾をしゅっと引き寄せるところがちらっと写っていて、その次にその辺りが写ったときにはもう誰もいなかった。

芸者さんたち、毎日来てくれれば寂しい客席も華やぐのに...と思っていたら、今日はなんと満員御礼の札が下がっていた。

2008年11月14日金曜日

NHK京都特集

NHKは11月を京都の月と決めてさまざまな番組で京都を特集している。

その流れですべて再放送のようだったが、火曜から昨日までNHKハイビジョンで京都を取り上げた番組を見た。

火曜は元呉服商だった家の半年の生活を追い、水曜日は老舗料亭の代替わりを取り上げ、昨日は他の番組を見てしまったために後半しか見られなかったが冷泉家の今を描写していてとても興味深かった。

京都ではどの家もああやって暮らしていると思ってはいけないのはもちろんだが、いまだ現役で商売をしている料亭は置いておくとして、元呉服商と冷泉家が数百年前から今に至るまでほぼ昔通りの生活を維持しているところがすごい。すごいなんていうレベルではなくすごい!

冷泉家はもう貴族ではないし、呉服商ももう先代で店を畳んでしまっているので、その広大なお屋敷を維持するだけでも大変なことだと思うが、試行錯誤を経たのだろう。文化財としての優遇措置と保存会のような組織を利用することで、昔ながらの優雅な四季を送っている。と言うか一見優雅に見えるが、こういう生活を守っていくのは並大抵のことではない。番組を見ていて思ったのは、こういう家なら本当に身にしみて四季を感じるだろうなということだ。

とりあえず普通に暮らす場合でも、京都は盆地だから夏暑く冬寒いはずだ。それなのに、料亭だけは客商売だからそれなりに現代の設備を利用していると思うけれど、呉服屋さんと冷泉家の場合は建物が昔のままなわけだし、台所などは天井がものすごく高くて、風がひゅーひゅーと吹き抜けていきそうだ。第一夏の風景を見ていても網戸というものがなく、冬の風景を見ていても障子+廊下+板戸(さすがにガラス戸はあったかな)で外という感じだ。地球温暖化の今、寒いときは一層寒く、暑いときは一段と暑くなってきたような気がして、エコを心がけねばと思いながら、つい空調のスイッチを入れてしまう今日この頃なのに、この家では夏は暑そうだし、虫が入ってきそうだし、冬はしんしんと冷えそうだ。空調もどこかに入れていないはずはないと思うが、その効果も焼け石に水という感じで、見ているだけで身が引き締まってしまう。とはいえ、景色としてみる分にはとてつもなく美しく引き締まった家屋や庭が画面の中に収まっている。

一等地にあっても売ることもできず、建て直すこともせず、蔵に埋もれているあまたのお宝をほぼ独力で守っているのには、本当に頭が下がる。

世界中を探しても、歴史的な建造物は保存されていても、文化風習までその家の住人が守り伝えていこうとしているところなんて、他にはないのではないだろうか(やむを得ず昔のままの生活を送っている場合を除いて)。

連日番組を見ているうちにどんどん京都に行きたくなってきた。

京都に行くと、二条陣屋に行くのが定番だ。二条陣屋に初めて行ったのは、たぶん30年くらい前だと思う。二条城のすぐ近くにあるのだが、大きな道から少し入ったところにあって、おまけに要予約だから、あまり知られていなくて、この家の奥さんだの大奥さんだのと思える人たちが丁寧に集まった予約客に屋内の説明をして案内をしてくれた。屋内にはさまざまな趣向が凝らしてあるほか、防火防犯の施設もあって、どの部屋でもあちこちきょろきょろと見回さずにはいられない。そうして歩いていたら、大奥様とおぼしき方から「ちょっと。畳の縁を踏まないでください」とぴしっと注意された。未熟者は一つお勉強しました。

この二条陣屋もいつだったか見学に行ったときに、重要文化財の指定を受けましたという説明があって、そうなると修理なども費用を気にしないで行うことができるようになるとかで、本当によかったと案内の女性がおっしゃっていた。実際、その頃から案内の人も今までの「どう見ても家人」風の人ではなくなり、アルバイトの学生風の人とか「守る会」的組織の人風の人とか、そう言う人が担当するようになり、それまではおまけ的に見せてくれたところや触らせたり入れたりしてくれたところにも出入り禁止になって、見学も少し窮屈になってしまった。時間もぴったり予定通りという感じで終わるようになったしね。

今回、京都には他にもこういう重要建造物があるということを知り、もしかしたら見学できるかもと思い、まだ予定は全然ないけれど、こういうときに便利なネットでちょっと調べてみたら、元呉服商の杉本家は保存会に入らないと内部見学はできないようだった。保存会にも何ランクかあって、一番お安い会員で会費は年間1万円なのだとか。ま、そうでしょうね~。家屋を維持するだけでなく、日々のお献立や折々の行事もちゃんと踏まえて生活しているのだもの。でもまー、いつ行くか分からない京都の旧家の保存会にすぐ入るほど金持ちではないので、とりあえず今回はテレビで目の保養をさせてもらったと言うことで満足することにした。

2008年11月9日日曜日

NHK朝の連ドラ

毎朝NHKの連ドラを見るのが習慣になって久しい。

今放送中の連ドラは「だんだん」である。8日の放送を見ていたら、色々あった末に双子の片割れがライブで歌を歌い、もう歌わないと決めていたもう一方の片割れが弟からギターを渡されて意を決してギターを受け取り舞台に上がって歌い出すというシーンがあった。

どこかで見たような...と思ったら、2作前の「ちりとてちん」にこんな場面があったのを思い出した。

このドラマは落語家一門の話とその一門に所属する女噺家の実家の話の2本立てなのだが、落語家一門の方は師匠の徒然亭草若が長いこと高座に上がるのを拒否してしまっていて一門の存続が危ぶまれる危機的状況になっている。女噺家はそんなこととは知らず、ちょっとした縁から師匠の家に下宿させてもらうことになり、噺家を目指すことになり、連ドラだからまあ色々あるのだが、朝の連ドラにしては珍しく、久しぶりに素晴らしい作品だったと私の中では絶賛している作品だ。

で、徒然亭の弟子たちは一門としての活動を再開しようと考え、近所の馴染みの食堂に頼み込み、久しぶりに一門の落語会を開こうとする。多くの困難を乗り越えて無事落語会の当日を迎えるのだが、徒然亭の弟子でもあり跡取りでもある小草若が一席披露しているうちに感極まって泣き出してしまい、高座を降りてしまう。突然そうなったのでどう後を続けていいものか一同が戸惑っていると、その脇をすっと通り過ぎていく人影が...。

誰かと思うまもなく、師匠の徒然亭草若が高座に上がり、蕩々と話し始める。

師匠が高座に上がるのはもう何年も絶えてなかったことで、その間に弟子たちは四散し、一門は存亡の危機を迎えていたのだが、この一件をきっかけにして徒然亭は復活する。

実に感動的な場面だった。朝から心底じーーーーーんときた。

その場面と今回の場面が、ギターを受け取ってすっと画面から消える辺りが似通っていたために「ちりとてちん」の名場面を思い出すことになったのだが、できたらもう少し工夫して、思い出させないくらいの違いは出して欲しかった。

ああいう名作とちょっとそこまでは...的作品は、似ていると思うだけでもムッとする。

もちろん「だんだん」だって全くの駄作とは言わないけれど、スカウトは絶賛しているみたいだが素人目にはそこまでには思えない双子のデュエットと徒然亭草若の落語を同列に扱うようなことだけはして欲しくなかった。両方とも制作はNHKの大阪なんだろうし、その辺の気遣いは欲しかったと思った11月初旬であった。

2008年11月8日土曜日

空港へ行く

家の近くで買い物をした帰り道、信号待ちをしていたら、目の前をリムジンバスが通った。

リムジンバス...

これが目の前を通ると無性に乗りたくなる。人によっては仕事で飛行機に乗ることがあるだろうけれど、私の場合はそう言う可能性は皆無なので、これに乗ると、そこから非日常の世界に入るのだ。

昔は自宅近くでこういう気持ちに襲われることはなかった。つまり、昔はリムジンバスがこんなにあちこちでは利用できなかったと言うことだ。

以前は羽田にしろ成田にしろ、空港に行くときは、浜松町に向かって電車を乗り継ぐか、新宿か水天宮に出て、そこからNEXかリムジンバスを利用した。時間帯にもよるが、都心に向かう電車は混んでいることが多いから、荷物は前もってABCみたいな宅配業者に出しておき、空港に着いたところでピックアップして荷物と合流し、その後いよいよ搭乗券を受け取るためのチェックインと言う手順になる。

そう言えばTCATで出国手続きをしたこともあった。あの場合、まだまだ日本の中にいるのにすでに気分は外国だった~♪


そうな風にしていたのはずいぶん前のことだ。懐かしい...

この頃は、住まいの最寄り駅の隣の駅からリムジンバスが運行されているので、大荷物だろうが何だろうが一駅ぐらいなんだ!みたいな勢いでガラガラ~っとトランクを引きずって行くか、これから大枚使って遊ぶんだ!みたいな勢いでタクシーを奮発して荷物ごと隣駅まで移動して空港に向かうことが当たり前になっている。

そう言えば昔は荷物を先にピックアップしてもらっていたから、荷物は出発の数日前までに準備しなければならなかった。今はそうやって自分と一緒に出掛けるようになっているので、出発する直前まで、あれを忘れた、これも持っていきたいといっては、近くのコンビニやドラッグストアに走ったりして、それはもう気忙しいこと。荷物を先に出していると、とりあえず俎上の鯉的気分で、トランクがないんだからもうこれ以上はどうにもなんないもんね~みたいな境地になっていたものだった。

ところで、非日常の世界はリムジンに乗った辺りから始まるから、出発当日は早く非日常の世界に入りたくてたまらない。と言うわけで、ずいぶん早めに空港に出掛けていって、巨大な空港の中で半日くらい遊んで過ごすのも恒例になっている。ここでもう財布の紐は緩んでいて、出発前からもうショッピングバッグを抱えてしまったりする。

旅行はいいね。目的地で楽しく過ごすのももちろんだけれど、一番ワクワクするのは飛行機に乗り込む前の空港で過ごす半日くらいかもしれない。

次にこの経験が楽しめるのは来年の8月...。鬼が笑うくらい先の話で待ち遠しい。

2008年11月4日火曜日

小室哲哉逮捕

今朝、いつも通りテレビをつけてNHKにチャンネルを合わせたら、7時のニュースのトップが小室哲哉が事情聴取を受けるために任意同行を求められているというニュースで、小室哲哉の家の前にいる記者が現場から状況を伝えていた(小室哲哉の家は東京で、本人がいるのは大阪みたいだったが)。まるで民放のワイドショーを見ているみたいだった。

私の音楽シーンは大体1980年代の初めまでに終わってしまっていて、最近は音楽番組を見ていないので小室哲哉がどういう人でどういう音楽を作り出していたのか正確には知らない。しかし、この人の名前は知っている。芸能ニュースや新聞に掲載される週刊誌の宣伝などから得た知識をつなぎ合わせると、大体つながる。

で、小室哲哉というのは私はあまり好きだとは思わない種類の人間だ。

才能に恵まれて時代の寵児になって、そこまでなら「いいな~、あやかりたいな~」くらいの感想で終わりだけれど、その後、誰か女性歌手が失恋して芸能活動に支障を来すくらいに精神状態がめちゃめちゃになっていたような気がするが、その辺から「面白くないヤツ~」的印象になって、その後、その女性歌手が立ち直ろうとしてはまたダメになりみたいなニュースが何度か報じられる間に、このドンファンさんの方は何度か結婚と離婚を繰り返していたのではないかな。それで、印象はさらに地に落ちて「嫌なヤツ~」になってしまった。

大体、金があれば何度でも結婚していいみたいな姿勢が嫌だ。お互いに結婚するけど、嫌だったら別れようねみたいな合意があって、何のトラブルもなく何度も結婚したり離婚したりできれば問題はないんだけれど、そういうわけにはいかないでしょう、男女の仲って言うのは。で、小室哲哉の場合、あくまでも想像だけど、自分は通帳に印刷しきれない桁数の収入があって、どっちかと言えば彼の方が強いわけだから、それでくっついたり離れたりがある場合には、やっぱり弱い方に対して強い方がきちんとして欲しいわけです。でも、傍目には、金があるから好き放題みたいな感じにしか見えなかった。

その何度も立ち直ろうとして立ち直れない女性歌手の場合、どこまで責任を取らなければいけない仲だったのかは分からないけれど、どうもその後の結婚と離婚の履歴をざっと見ると、5億とか10億とかいうお金の単位が、小室哲哉にとっては、一般人の5万とか10万とか言う単位と同じになっていたのではないだろうか。そんなの気軽に支払えちゃうもんね~なんて思って、これだけ払えば別れてくれるよね~、これで新しい彼女と結婚できるよね~、ばんざーい風に思っていたのかもしれないけれど、自分の収入って言うのは、ファンあってこそだという思いがもうなくなっていたのだろう。

順風満帆。自分には途切れることなくお金が入ってくると思いこんでいたのかな。

せっかく夢のような生活を送っていたのに。もう少し地に足をつけて、自分も他の人たちと何ら変わらない、ただちょっと時代の波に乗っただけ、そんな謙虚な気持ちを持ち続けていたら、今まで自分を雲の上の存在として追いかけていたマスコミから護送されるシーンを激写されるようなことにはならなかっただろうに。