2010年9月14日火曜日

武道とスポーツ

最初は大して興味もなかったが、昨日の最終日はふと気が向いて世界柔道選手権の無差別級をテレビで見た。

柔よく剛を制す

これが柔道の基本だと素人の私は勝手に思っている。

ところが、柔道をグローバル化したために、最近の柔道は武道ではなくてスポーツになってしまったように見える。

柔道の国際組織には、権力闘争か何か知らないが、柔道の精神を正しく伝えられる唯一の存在である日本の代表も存在しなくなってしまったとずいぶん前に報道で読んだ記憶がある。

日本の声が反映されなくなって、北京五輪の時の柔道はタックルばかりが流行り、レスリングとどう違うんだと言いたくなるような試合を見せられて、日本の男子は活躍できなかった。

いきなり脚にしがみついて相手を押し倒す技など柔道ではない。

柔道を見るなら、相手の力を使って相手を綺麗に投げ飛ばす技を見たい。

と外国の柔道選手やファンは思わないのだろうか。とはいえ、さすがに脚を狙うあの技は反則になったようで、今回の世界選手権であれをやる選手がいなくなったのはめでたいことだった。

ところで、昨日の男子無差別級の決勝を見ていてつくづく思った。

リネールの背中越しに長い手を伸ばし、相手の帯を掴んで力任せに相手をつり上げて投げ飛ばそうとする技、これは大相撲で把瑠都が大関昇進前によく見せたのと同じ技だ。

でも、あれって技だろうか。ああいうのはただの力尽くではないだろうか。

技を競って相手に勝利するのが柔道、そして日本の武道だと思う。

勝てばいいってものではない。リネールや把瑠都の力業は誰でも出来るわけではない。相手より背が高くて手が長くなければ繰り出せない技だ。つまり、この技は一定の体格を持っていなければ繰り出せない技で、本人が会得したと言うよりは本人の努力や意思とは関係ないところで本人に与えられた身体がなければ繰り出せない技だ。

しかし、普段からみんなが同じ技を練習し、掛け合って、うまく相手と組んでその技を綺麗に決めることが正真正銘の柔道だと思う。

旗判定で負けたリネールは「えーっ!」と言う顔をし、礼もせず握手もせずに、「ひどいーっ! うちの組織のえらい人に言いつけてやる!」みたいな顔をしてどこかに行ってしまった。

日本の武道はただ勝てばいいと言うわけではないのに、その精神が伝わっていないのはものすごく残念だし、国際化したために柔道がそういうことになってしまうのなら、今からでも遅くはないから、そんな柔道から日本は離脱して(もちろんスポーツとしての柔道をやりたい人はやり続ければいいと思うけれど)、本来の道を究めて欲しい。

テレビ観戦しながらそんなことを考えた。

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