2009年11月13日金曜日

臓器移植

先日テレビで心臓移植を待つ患者たちのドキュメンタリーを見た。中学生の時に心臓病になって、今20歳という若者もいた。明るく生きようとしてはいるけれども、お腹に力が入っていないと言うか、心臓がちゃんと動かない状況では、頑張ろうとすると身体に負担がかかってしまうので、まだ若いのに病室の中に閉じこめられているような生活しかできないのが実に気の毒だった。

その一方で今日は土浦の通り魔事件の金川被告の裁判があって、こちらは元気いっぱい、五体満足の身体を持ちながら、死にたいのに自殺はできないので、死刑になる目的でこういう事件を起こした…のだとか。判決で死刑が出なかったら、さらに2,3人殺すとうそぶいているのだと今朝の新聞に書いてあった。

最近、死にたいと思って、でも死ねないので「殺してくれ」的に凶悪犯罪を起こす許せない人間が結構いるようだ。死にたいと思っている人を死刑にするのは、適切な判決とは言えないと言う気がする。死にたいのだから、死なせないことが最大の罰になるのではないかと思うからだ。

でも、遺族や被害者の思いは「死刑」なのだろう。

そうであれば死刑は死刑として、せめて臓器移植のドナーにしたらどうだろうか。凶悪犯の臓器なんて、誰ももらいたいと思わないかもしれないけれど、死刑執行の条件としてドナーになることを快諾してもらう。できれば全身すべてでお願いしたいです。

患者さんも凶悪犯罪者で、しかも嫌がっているのに死刑になった後で勝手に取り出した臓器をもらうのは、全然有り難くないと思うので、その辺りはきちんと「是非使ってください♪」的な気持ちを表明してもらうように刑務所の方で頑張ってもらうというのはどうだろうか。

こんなのは真冬の夜の夢かな

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